静岡高教組の教育研究ブログです
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2012年 教育のつどい in兵庫

 「みんなで21世紀の未来をひらく 
     教育のつどい 2012 in兵庫」


静岡高教組は、レポーター5人、司会2人、共同研究者1人、

参加者10人(子どもふたり含む)の計18人で参加しました。
2012_0817速報1-1

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| - | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
藤枝市平和展
 8月4日(土)5日(日)に、「藤枝市平和展」を開催しました。

  「戦中・戦後体験をかたる」橋本貞夫氏(私の父 82歳)
2012_0804橋本貞夫講演

2012_0804橋本貞夫講演2

  続く「一枚のハガキ」(新藤兼人監督作品)には400人。

  金谷高校の書道部による「大書」
  ロビーで綿密な打ち合わせ
2012_0804大書打ち合わせ

2012_0805大書1

2012_0804大書2
  この作品がステージに飾られる

  エバーグリーンの展示
2012_0804エバグリ展示1

2012_0804エバグリ展示2


  8月5日(土)は午後から「青春の鼓動」
2012_0805青春の鼓動

  オープニングは藤枝北高校の「総合」和太鼓

2012_0805和太鼓1

  東部すみれの家のみなさんによるハンドベルの演奏
2012_0805すみれの家

  「ダッシュ」の演奏
2012_0805ダッシュ

2012_0805ダッシュ2

  演劇部による朗読劇「地雷ではなく花をください」
2012_0805演劇部

  藤枝北高校 「総合」音楽の生徒による歌
2012_0805音楽

  藤枝北高校 少林寺拳法部による演武
2012_0805少林寺

  最後は、藤枝北高校 吹奏楽部の演奏
2012_0805吹奏楽部1

2012_0805吹奏楽部2

  昼食のカレーは食べ放題
2012_0805カレー

  平和マンガ喫茶のかき氷もおかわり自由
2012_0805かき氷

2012_0805マンガ喫茶

| - | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育のつどい 教育研究全国集会2012 in兵庫
  8月17日(金)から19日(日) 神戸で「教育のつどい」
参加申し込み


| - | 15:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
2012年藤枝市平和展
 藤枝市平和展 8月4日(土)5日(日)
 藤枝市生涯学習センター
 新藤兼人監督作品「一枚のハガキ」
 高校生・若者による「青春の鼓動」
   和太鼓、バンド演奏、朗読劇、大書パフォーマンス、ブラスバンド演奏
   藤枝市東部すみれの家のみなさんによるハンドベル演奏など
2012_0626平和展チラシ表

2012_0626平和展チラシ裏
   
| 自由と平和 | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
5月3日 憲法に学ぶつどい 小笠原康晴氏
 2012年5月3日 13:30〜 藤枝市生涯学習センター ホール

志太・憲法を大切にしよう会・なくそう浜岡原発藤枝市民の会 共催

静岡新聞社 浜松総局 小笠原康晴氏

 2012_0503小笠原康晴氏

 こじんまりしたアットホームな会場で話をすることが多いのですが、きょうは大きなホールでこんなにたくさんの人の前で話をすることになりドキドキしています。

 浜松の出身で、1982年に静岡新聞社に入社。記者として社会部や東京の編集部に勤務したり、磐田にもいたことがありますが、昨年から浜松で販売担当をしています。

 記者時代から、「静岡新聞にはふさわしくない」などと先輩からおしかりを受けていました。いまは、現場にいませんし、記者の立場でもありません。きょう私の話すことは静岡新聞社の主張ではなく、あくまで個人の主張ですのでご了解ください。

  東日本大震災から1年たった3月11日、東京の会社のツアーに参加して被災地に行ってきました。記者でなくなって取材報道ができないのに現地にいっても、と思って行かずにいたのですが、自分の目で見て、生の声を聴いてみたいと思ってツアーに参加しました。蓮池さんの兄、蓮池透さん、東京外大の岩崎さん、かつてのべ平連の小中陽太郎さんも同行する80人くらいのツアー。ほとんどは60歳以上。常磐道は一部通行止めなので、東北自動車道で福島県に中通りから入り、あぶくま山地を越えて、飯館村、相馬へ向かいました。あぶくまを超えるときには雪が降っていたが、きれいな清流、せせらぎの音を聞きながら、小中氏も「美しいなあ」としかし、「でも、この雪も放射能で汚染されているんですね」と。白い雪がネガのように白黒反転して、黒く染まって見えるように気がしました。これが本当の景色なのだろうか、映画で見た「核の冬」の死の灰の世界と重なって見える気がしましたあぶくまは豊かな自然に恵まれ、昔、飢饉のときには山にはいって山菜をとったところ。しかし除染は不可能で、人と山との結びつきが無残に断ち切られてしまいました。

飯館村は福島現場から30〜40キロ圏内にあり、福島原発2号機から放射能が漏れ、風で飛ばされて雨に混ざって降り注いだ地域。年20μ㏜を計測して計画的避難地域に指定されたところ。セシウム、ヨウ素だけでなく、プルトニウムが検出され、人影はほとんどありませんでした。

相馬市、南相馬市、双葉郡を合わせて相双地区と呼んでいますが、ここも1000人以上が犠牲になり、警戒区域に指定されています。この原町区で小児科医の九条の会の会長が、どうなってしまうか不安だ、と目に涙をためて語っていました。子を持つ母親も避難してほとんど地元にはかってこないし、看護師も出て行ってしまった。子どもの姿が消え果て、小児科も休診状態だという。地元の女性も「子どもを産む気はない。」というし、「政府の約束を信じる人はいない。」と語っていました。

福島原発の保守管理にかかわっていた蓮池透さんは、「OBのひとりとして、申し訳ない。こんな過酷事故を起こしておきながら、平然と値上げしようとし、再稼働しようとするなど、お客様意識も当事者意識もない。あれは原発関連の奴らが起こしたことだと平気で言う。」と怒っていました。「核のゴミ、使用済み核燃料の行き場がない、トイレのないマンションは段階的にフェードアウトするしかない。自滅するしかない」とも語っていました。

静岡新聞の記事にも、青森の再処理工場の使用済み燃料がいっぱいだという記事が出ています。たとえそれらを原発に戻しても、置き場所がない。浜岡もいっぱいです。

我々は、磯部漁港(ここも津波に襲われ家屋などが流出し、今でも土台のみになってしまいましたが)から南下し、見渡す限りの泥田のようなぬかるみの中、原町に向かいました。磯部地区も、9メートルの津波がおそい、250人が犠牲になったところです。遺体が田畑から発見されたそうです。私たちはただ立ちすくみ、黙とうするしかありませんでした。いまだにまったく傷はいえていません。

 

南相馬も放射線被害を受けたところです。原町高校では除染はされましたが、桜並木は手つかずのまま。毎時1μ㏜が検出されています。20キロ圏は同心円状に線引きしただけなので、町の真ん中で区域が分かれてしまっていました。避難地域になった家の隣に、人が住んでいるのです。機械的な線引きをしたために、非現実的なことがおこっていました。計画的避難地域がようやく柔軟に対応するようになりましたが…。

酪農を営む杉さんは、牛の鳴き声に異常を感じたそうです。不安で先が見えないが、農民の底力を見せる時だ、われわれは間違いのないものを作り、消費者にそれを判断してもらうと意欲を見せていました。エサなどは海外から取り寄せて酪農をしているそうです。農家の中にはとどまって農業を続けている人がたくさんいます。20代の三浦さんも、「3.11で多くを失ったが、立ち止まっていても仕方がない。自分で作った農産物を食べてもらうことが幸せだ、安全性を高めて測って届けたい」と語っていました。

「除染よりも移転した人に金を使うべきだ」という意見があります。岩崎さんは、「紛争地で難民になるのは脱出できる能力のある人たち。移転して不安な生活をするか、とどまって不安な生活をするのか、ぎりぎりの選択が迫られている、生活を捨てない人もいる。福島に残る人をどう支援するかが問題だ」と語っていました。

「福島にとどまるより逃げるのを手伝ったらどうか」と批判する声もあります。福島の中にも線量の低い地域もあるのです。残る人への差別を助長することにもなりかねません。

ある女性は、放射線量の高い地域で三人の子を育てているが、周囲の人から大人としての責任放棄だ、子どもだけでも移転させるべきだ、人権無視だと言われる、と困惑していました。将来の可能性を信じて福島にとどまるか、不安を抱えて外に移転するか、究極の選択が迫られているかのようだとも。せめて自分で決めたい。言われるがままに追われるのはおかしい、と語ってくれました。

福島県内にも分裂、溝を作り出しています。地元に残る人への支援も必要です。

多くの人たちにマスコミは真実を伝えていない、ほんとうのことを伝えてほしい、と声をかけられました。しかし、今の私には書く場のない、やりきれない思いでした。

福島原発の事故現場では今でも4号機の使用済み核燃プールが危ない。スリーマイル島原発事故の調査研究者、アーニー・ガンダーセン氏の「福島第一原発 真相と展望」によれば、がんが発生する可能性を指摘し、さらに使用済み核燃料プールには10〜15年分の使用済み燃料が貯蔵されていて、今でも熱を持っていると語っています。さらに、これを覆っているのは壊れかけの建屋だけ。プールが壊れると水がなくなり、大気中で燃えることになる。地震で損壊する危険もある。震度7が来ないことを祈るだけだと言っています。耐震性を高めるか、使用済み核燃料を撤去するか。しかし、クレーンも壊れているし、建物も傾いているので撤去も難しい。

ドイツのテレビでは「福島のウソ」という番組がつくられ、4号機がどこまで耐えられるのか疑問視していますが、東電は、耐震調査の結果は問題なしと回答していると放映していました。

原発には「神話」がありました。まず「安全神話」がかなり浸透していました。しかし、大震災で壊れて神話は崩れました。次にコストが安く経済的だという神話。解体・廃炉に莫大な金がかかるし、事故の時の賠償金は天文学的金額になるでしょう。かえってコスト高です。

環境に優しい、という神話。CO2を排出しない、と。しかし、発電時だけのこと。それよりもっと恐ろしい放射能を排出します。

電力不足だという神話。便利な生活を送れなくなるという。これも眉唾です。いま稼働しているのは北海道の泊原発のみ。生活に不便はありません。それも5月5日に停止するが何も問題は起こらないでしょう。夏の不足を心配する声もありますが、一方的計算です。昨年の夏も浜岡が止まっていたが、電力は余っていました。

原子力の平和利用だともいう神話。これが最大のウソです。戦争のための核兵器とは違うといいます。しかし、原発はウランとプルトニウムで稼働していますが、ウラン235が1グラムで通常の火薬20トン分のエネルギーを生み出せるのです。容易に核兵器になります。

広島、長崎の原爆のあと、旧ソ連は水爆を開発しました。アメリカは遅れを取り戻そうと、核開発を急ぎます。日本にも「原子力の平和利用」だと称して売りこみ、日本にも原子力予算がつきました。1954年3月1日に第五福竜丸が被ばくし、久保山愛吉さんが死亡。その時アイゼンハワーは嫌米・反核運動を抑えるために「平和利用」を宣伝します。わざわざ「平和」をつけたのはそれが「兵器」だからです。

使用済み核燃料、プルトニウムはいつでも核兵器になります。日本はすでに30トンのプルトニウムを溜め込んでいて、これは核兵器にすれば1万個作ることができる量です。

A級戦犯で総理大臣になった岸も、原子力について、「兵器利用できるが、するしないは政策の問題だ」と発言しました。いつでも核兵器に転用する潜在的可能性を持つことになり、世界にアピールできると言っていました。NTTには参加していないが、技術的ポテンシャルは保持している。いつでも核武装できる。それが昨年の石破発言に受け継がれているわけです。

 福島から静岡にも避難している人がいますが、沖縄にまで避難している人もいます。しかし沖縄には命を脅かす米軍基地があります。アメリカのタイムズ紙の社説では、「安全神話は崩壊し、浜岡も停止した。しかし、普天間ではいまだに人権軽視が続いている。」と。住宅地の中にあり、大学にヘリコプターが墜落するような世界一危険と言われる普天間基地を停止できないでいます。

原発も米軍基地も似ています。「国策」だといって、交付金がないと自治体の運営ができない仕組みにしていく。負担・犠牲を首都圏ではなく、地方に負わせる仕組み。情報が隠され、異論が封じられる仕組みです。小出氏は危険性を指摘し続けたため、学会主流から外されてしまいました。

マスメディアもただのPR機関でした。戦争中と同じです。記者も原発見学ツアーに誘われ、メリットばかり強調されます。電力会社が主催する夜の懇親会に招待され、なくなったら困る、ないと困ると思い込まされるのです。私も飲み会に参加したことがありますが、反省しています。

危険性を知っていながら見て見ぬふりをしてきました。米軍基地と同じです。これは憲法九条の精神とは相いれません。原発もいつ核兵器にされるかわからない。核兵器は防衛のためではなく、攻撃用兵器です。自分の国を守るために自分の国に原爆を使うことはありません。

危険性を知っているから、遠い地域におく。これは、平等に反します。差別です。

25条にも違反します。基地の騒音、犯罪、放射能の危険。最低限の文化的な生活を脅かします。

鳩山元首相は最低でも「県外」と言っていましたができませんでした。そして「学べば学ぶほど抑止力があるとわかった」と言いました。中国、北朝鮮の脅威に対する抑止力。1年近くたったら、「あれば方便でした」と。

海兵隊に抑止力があるわけではないのです。柳沢恭二氏も、沖縄でなければならないということはないと言っています。グァム、オーストリア、ハワイとローテーションでおいてもいいと。

琉球新報で前泊氏は、「沖縄は中国のミサイルの射程内だからグアムに移転しようとしてるに過ぎない」と指摘しました。攻撃対象になるからだと。

北朝鮮が「人工衛星と称してミサイルを打ち上げた」と大騒ぎしました。パトリオットを配備して大はしゃぎ。パック3は意味がない配備ですが、自衛隊派遣のための地ならしだとも指摘されています。

北朝鮮のミサイルの破片の危険性より、福島原発4号機の破損の方がより大きな脅威でしょう。

自民党は憲法改正を党是としています。国防といいますが、何から何を守ろうとしているのでしょうか。愛国心、郷土を愛する心ころだと。美しい福島県が汚染されていることは侵略されていることと同じことです。

原発は自民党の政策で作ったものでしょう。目の前の本当の脅威を見据えることが必要です。憲法九条を持ち出すと、現実がわかっていない空虚な理想論だと言う人たちがいます。非現実的だと。それなら、核の平和利用、抑止力が現実論でしょうか。怪しいものです。それこそ空疎なお題目ではないでしょうか。

現実的・リアルであることは、脱原発、憲法を生かすことです。この憲法を持つことに自信を持ってよいのです。憲法はすべての人間の命を大切に、という理想をもっています。原子力の平和利用は、命とはあいいれません。日米同盟神話も同じことです。

 自分の目で確かめ、自分の頭で考える。それが憲法の精神を生かすことです。

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静岡県母親大会ーー「浜岡原発」分科会と「放射能汚染」シンポジウム
 みなさんの関心が高いテーマです。
「浜岡原発」分科会は100席、「放射能汚染」シンポジウムは300席の会場です。


被災地からは井上裕子さんが来てくれます。
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静岡県母親大会50回記念大会にいらして下さい

 歩み続けて50回目を迎えました。
1954年のビキニ水爆実験・第5福竜丸事件をきっかけに
始まった母親大会です。お誘いあわせていらして下さい。

| - | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
2012年4月28日 太田尭(たかし)氏 講演会 映画上映「かすかな光へ」

2012年4月28日(土) 13:30〜16:30 あざれあ

1、映画「かすかな光へ」

 太田尭氏は戦中派でもある。徴兵され、出兵して、セレベス島に行った。その時に農村・漁村出身兵の力に感服した。生活に根付き身についた彼らの知恵に圧倒され、自分自身のただ貯めこんだだけの知識がつまらないものに思えた。それをきっかけに、なんのために学んだのかを問い直すことになる。「少数者によって多数者を支配するための教育、人を殺す戦争のためだけでなく、魂の圧殺行為であった戦前の教育ではなく、生きる力をはぐくむ教育とは何か」と。

 戦後、広島の小学校で「国家に都合のよい教育」を否定し、民主教育に取り組む。教科書は教え込むものではなく、参考書の一種であった。全国一斉ではなく、その地域に適した教育、自分の頭で考え、調べる自由な学習を模索した。

 しかし、朝鮮戦争が始まると右傾化し、警察予備隊が編成され、教師の政治活動が禁止され、教育委員会の公選制が廃止された。教科書検定も始まった。

 太田尭氏は、「農村・漁村の教育力」の調査にはいるが、子どもたちの内面に入れないことに苦悩する。そしてそのころ、「山びこ学校」の「生活つづり方」に出会うい、子どもたちが心を表現していることに衝撃を受けた。

 そして「青年学級」にかかわることになる。農村の二男、三男たちが集まるが、将来に希望が持てず、学校はサボり、サケ・タバコにおぼれ、家出を繰り返す、自称「不良」青年たちだった。彼らはロハ台にたむろし、世間話のおしゃべりに時間をつぶしていた。そこに当時東大助教授の太田尭が飛び込む。

 翌日、彼らの言葉をガリ版刷りのプリントにした。彼らの言った言葉、つぶやきがプリントになっている。青年達はそれに驚いた。そして、おしゃべり場が、話し合いの場に代わっていく。プリントには詩も載せた。彼らはそれ待ち望むようになっていく。仕事に疲れてくる彼らにとって、そこは癒しの場になっていった。日常生活のできごとを語り合っているうちに、悩みや苦しみを語り始めた。「百姓なんてきたならしいもの、自分の人生も意味がないものと思い込んでいたが、むだに消費したくない、自由になりたい、無駄死にしたくない」と表現するようになっていく。ガリ切り・印刷も彼らがするようになり、青年学級は彼らに生きる誇りと自信をよみがえらせた。

 高度経済成長の時代になると、効率優先の人づくり政策が始まる。教育は人を変える手段となり、要求するものに答えるだけの学力テストがはじまる。予測不能な事態に備える力ではなく、促成栽培の教育。太田尭氏はそれは許せない、と思った。

 家永三郎氏とも懇意で、教科書裁判に深くかかわる。国家が教育内容に介入することに危機感を感じ、「教育は上からの強制ではない」と主張する。その結果、国家のための教育ではなく、子どもの学習権を認め、内面の自由を保障し、人になる権利を認める杉本判決を勝ち取ることができた。

 1978年から都留文科大学の学長になり、学生ひとりひとりと語り合った。そこで、餌を取りに行くための木が伐り倒されたため、ムササビが神木を食害する事件が起こった。住民は退治しようとするが、今泉ゼミを中心に、ムササビと人の共存を模索した。それをきっかけに、自然と人との共存をめざし、都留市全体を自然と人間が共存するミュージアムにしようと構想した。一か所に集めず、その場で生きている姿を残そう、と。

 子どもたちの内発的な遊びも大切にした。仲間と一緒に遊ぶためには自然が必要だ。たっぷり遊べる場所子ども広場「なんじゃもんじゃ」をつくった。

  太田尭氏は講演会で、基本的人権・生まれながらにして有する権利を「命」から解読する。「命」の特徴こそが基本的人権だ、と。

 まず第一に、命はひとつひとつが「違うこと」がその特徴である。その人ならではの個性があり、親子でDNAは違う。だから子どもは親の私物ではない。子どもに同化を求めてはいけない。思うようにならないものだとあきらめることだ。違っていることを認めればおおらかな気持ちで受け入れられる、と。

 第二に、「自ら変わる」ことが「命」の特徴。幼虫から蛹へ、そして蝶へと変化する。それは誰かにやらせられているのではない。自ら変わっていく。それが生き物の特徴である。

 有機農業を学びに山形の星寛治さんと会談する。「植物は人間の都合で成長するのではなく、イネやリンゴの都合で成長するものだ。植物は自らの生命力で自ら育つ。だから人間は少し手を貸すだけ。」

 人間の生命力も同じ。自ら変わる力を持っている。子どもたちも学習行動によって、みずからかわる。学校の教室での勉強だけでなく、すべての生きる行為、なめる、さわるも大切な学習なのだ。だから、自ら変わる力、それを助けるのが教育である。

 第三に、「かかわる」ことが「命」の特徴。植物も、太陽、水、空気、他の生物を食べて成長する。かかわりがないと命は続かない。かかわりとは、違いを大事にすること。お互いの可能性を信じてかかわりあうこと。それが平和の基礎になる力になる。

 

93歳の太田尭氏はとても元気だ。「元気の秘訣は、夢をもつこと、夢で生きること、やらなきゃということにせかされているのかな?言い換えれば、夢に生かされている。夢は自分自身のものだから、自分に生かされている。」と語る。

 

 今、氏は、埼玉県の見沼にフィールドミュージアムを構想している。

 そして、知的障害者の厚生施設「川口 太陽の家」とかかわっている。そこでは、「それぞれが違う障害をもつ人たちが、お互いにかかわりあい、そのひとにあった仕事を通じて成長している。」

「ここでは、働けないと言われている人たちが、共に働く仲間の中で働いている。」

「生きるものはみんな不完全で、誰でもどこかに障害があるものだ。」

「単純作業の仕事だけでは、遅い、量が少ない、不正確と断られた。そこで創作・表現活動を開始し、作品を展示販売することにした。絵画、ステンドグラス、はし作りなど、いろいろなものを創作する工房「集」を作った。」

「彼らは「バリアを張って生きてはいない。人間関係が濃い。そこでかっこつけてもばかみたい。」

「好きなことだけやっていていいの?社会の厳しさも体験しないと…という疑問もあった。しかし、楽しいことをがんばってもらう、できないことは周りが補えばよいではないか。」

 職員や太田氏の言葉が続く。

 

だれにでも自分変えていく能力が備わっている。その能力を信頼して、介添えする。それが教育の位置づけである。ユニークな持ち味を最大限発揮して、個性ある作品を作りあげる。まさに、「アートとしての教育」である。

 「人間には、言葉ではなく感性の方がはるかにだいじだ。ところがその感性が乏しくなっている。無機物に囲まれた人々が、愛に飢えて、バラバラに生きている。」

 

 映画での最後の太田氏の言葉「今の自分の無知に学んでいる。」

 

 2012_0428太田尭1

太田尭氏のお話

 映画は森康行監督の作った「太田尭」。本物ではありません。一人の老人が夢を持って実現しようとしている姿を描いたものです。

 現在はとてもまずい状況にある。全人類的な課題に面している。とくに子どもたちにはとってもまずい状況だ。遊びひとつとっても危機的だ。遊びは、人間になるために、仲間と一緒に関係性をつくる欠くことのできない営みである。映像で見るのではなく、生のものに手で触れて耳で聞くことが、自然に触れることが特に重要だが、このままでは、人類としての資格を失いかねない。

 

この映画はいわゆる「教育映画」ではない。「反教育映画」だ。一般に考えられている教育、教え込もうとする教育、根深く食い込んでしまっている教育観を、根本から問い直し、それをどう前向きに変えていくか。

 

 日本教育学会の会長に就任したとき、真っ先に朝鮮半島に謝罪に行くつもりでいたが南北対立の結果ビザがとれず延期していた。その半分にでもと思って、昨年韓国に「謝罪」のために行ってきた。日本の植民地にしていた韓国に、戦前・戦中に対して責任を負っている者として。

イギリスの植民地、南アフリカのダーバンに行ったことがあるが、公園のベンチやバスに「WHITE ONLY」などと書かれ、ひどい黒人差別が行われていた。

 しかし、朝鮮ではもっとひどいことが行われた。創始改名といって名前を日本名にし、神社を参拝させ、天皇を敬わせ、日本語を強制した。言語、信念、信条など、魂を抜くという、えげつない植民地政策を行ってきた。我々国民もまた、教育勅語を最敬礼を持って要求され、強制的に同化を求められ、魂を抜かれていた。

 それがいまだに教育観に根を下ろしていて、上から押し付けることが教育だと勘違いし、魂を売れと要求する。大阪の橋下は自分を理念を押し付けようとしている。君が代を2年続けて拒否すれば懲戒免職だと。国民の側も強引な指導者を求め、全体主義になっていく。戦前の押し付け教育、「教化」が復活しないとも限らない。

 

 この映画では谷川俊太郎氏ご自身が自分の詩を朗読しているが、「なめること、触ることのうちに学びが潜んでいる」という一節がある。「学習」とは、学校での勉強だけではない。それは忘れてしまう。学校とは忘れるところだ。本物に触れて、感性がゆすぶれた時に「わかった」と感じる。それが教養になる。

 今の子どもたちは大地に足を下ろせない。空き地がなくなり、川は立ち入り禁止になり、山も荒れ放題で遊び場ではなくなってしまっている。本物に触れないと人間にはなれない。自然に触れないと人間として成長できない。カネの使いどころが間違っている。命のために、命と命のつながりのために使いなおさないと。

 学習とは生存に直接かかわる営みである。学習権とは生存権であると言ってもよい。学びと生きるは一体。それを助けるのが教育である。人を変えるのではない。人それぞれが自分のDNAに従って成長していく。それを助けるのだ。教育は添え物である。命と命の響きあいを仕事とすること、それが教育である。命と命のつながりとして教育をとらえなおすことが求められている。

2012_0428太田尭2

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太田尭講演会 「かすかな光へ」映画会
 ドキュメンタリー映画 「かすかな光へ」

 記念講演 太田 尭 氏

 日時 2012年4月12日(土)午後1時30分から4時半まで

 会場 「アザレア」
2012_0428太田尭講演会チラシ2012_0428「かすかな光へ」2012_0428かまきりの斧
| - | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
憲法に学ぶつどい
 憲法に学ぶつどい
 「原発・沖縄・憲法 いま私たちは」
   小笠原康晴さん(静岡新聞浜松支局)
 「現地・浜岡からの報告」
   伊藤 実さん(浜岡原発を考える会」
5月3日(木)憲法記念日
 生涯学習センター ホール
  入場無料

2012_0503憲法に学ぶつどい
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