静岡高教組の教育研究ブログです
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人つなぎ、平歩をつくる 玉本英子講演会・写真展 
 2月3日(日)エバーグリーン主催「玉本英子講演会・写真展」を開催しました。

高教組志太榛原地区の地区教研としても位置付け、約90人の人が参加しました。
2013_0203エバグリ1

2013_0203玉本氏

玉本英子講演
2013年2月3日
 
藤枝生涯学習センター 14:15〜16:00

1、フリーランスのジャーナリストになったわけ

 アジアプレスの玉本英子です。大阪から参りました。

私は「フリーランス」のジャーナリストです。決まった会社に所属しているわけではなく、自分で企画を立てて取材し、それを記事にして、テレビなどにそれを売り込んで、お金にして、そのお金でまた取材に行くという、いわば自転車操業的な仕事をしています。

 ジャーナリストになる前は、神戸屋パンのパッケージなどをデザインする会社で普通のOLをしていました。たまたまある日、1994年だったと思うのですが、テレビである男の人が自分のからだに石油をかけて火をつけて、機動隊に突っ込むという映像を見ました。いまどきそんな人がいるのか、と強い衝撃を受けました。クルド人が自分たちの国を持てないので、それを世界にアピールするためにやったことだったのです。それまではのほほんとした生活をしていた私ですが、その映像を見て、なぜそんなことをするのだろと疑問を持ち、調べに行きたいと強く思うようになり、半年後、会社をやめて、本人と会うために、私が見たニュースの現場であったヨーロッパに行きました。本人と会うことができたのですが、その人は全身がケロイド状態で、ようやく命を取り留めたという感じでした。私がなぜあんなことをしたのか?と聞くと、「わたしの故郷に行けば、僕がなぜこんなことをしたのかきみにもわかるはずだ」と言うのです。私は、まったくの素人でしたが支援団体のアドバイスをいろいろ受けて、クルド人の住む現地に行って話を聞くことができました。私たちがのほほんとしている間に、世界にはこのように抑圧されている人がいるのだ、私にもできることはないかなと考え、これを伝えたいなあ、伝えられないかなあと思い、今の仕事に就きました。

 派遣社員などの仕事をしてお金をためては取材に出かけ、はじめは形になりませんでしたが、繰り返しているうちに次第に仕事をもらうようになりました。

 

 エバーグリーンの若いみなさんも「平和の旅」などを企画され、韓国などに出かけているようですが、若い人はおしゃれをしたい、遊びに行きたいという思いもあるでしょうけれど、若い時期にいろいろなところに出かけて学び、それを人に伝えていくことはすばらしいことですね。

 

 きょうは、ささやかながら、ジャーナリストとしてわたしのやってきたことをお伝えしようと思います。何かのヒントになってくれれば幸いです。

 山本美香さんと同い年で、彼女とは現場で会うことも多い友達でした。彼女がシリアに行く前に相談がありました。わたしもイラクからシリアに入ろうとしたことがありましたが、危ないのでやめた方がいいと判断してやめました。彼女も行くかどうか迷っていて、どうするかわからないといっていました。絶対やめたほうがいいよ、と言おうとも思いましたが、彼女なら何を言っても行くだろうなと思い、防弾チョッキはちゃんとしたものをもっていきなよ、とだけ言いました。強く止めておけばよかったかなとも思っています。

この仕事、女性には難しい仕事だとも思われていますが、女性だからこそできることがあると私は考えますし、男性だから女性だからというのではなく、あのような現場に出る人は必要だと考えています。

2、イラク戦争から見えてくること

(1)普通の人たちが…

サダムフセインの映像

 イラク戦争が始まったのは10年前。高校生なら小学生の時ですね。これはサダムフセイン。イラクの国営テレビの映像です。当時イラクではテレビチャンネルが二つしかなく、民衆がサダムをあがめるような映像がたくさん放送されていました。もう一つのチャンネルでは、サダムの息子が大好きだったハリウッド映画をたくさん流していました。

日本のアニメも人気で、アラフォー世代には、グレンダイザーやサンディベルなどが大人気でした。グレンダイザーの放送時間には外で遊んでいる子どもたちがいなくなり、最終回にはみんなして泣いたんですって。グレンダイザーのキーホルタ―をもっていったことがありますが、大人気でした。40代の男性が少年のように喜んでいました。バクダッドにはグレンダイザーの像がたてられているそうです。女性にも日本のマンガが大人気で、主人公のようになりたくて子どものころにアニメのヒロインと同じ髪型をして写真を写したそうです。

今の若い世代は、「ちびまる子ちゃん」が大人気です。イラクの中学生、高校生なら全員が知っています。まる子ちゃんはとても良い子で勉強ができて、まるこちゃんをめざしたいと言います。あれ?と思うのですが、アラビア語に翻訳するときにせりふを少し変えているのかもしれません。

男の子には「キャプテン翼」が大人気です。キャラクターグッズなど持っていけば、よいコミュニケーションツールになります。

 

空爆の映像 「アメリカ軍が入ってきました。誰も歓迎していません。」病院の映像。悲鳴。足を失った男性。子どもを殺されて泣き叫ぶ男性。

私のアジアプレスの同僚、綿井 健陽(わたい たけはる)が撮影したものです。

米軍がバグダッドを爆撃したのですが、当然のことですが、その下には民衆がいるということです。

破壊された米軍軍用車 群がるイラク民衆 子どもたちが石を投げたり、踏みつけたりしている。

イラク空爆の翌年の春、私が撮影した映像です。毎日、様々なところで米軍と武装勢力との戦闘がありました。

イラク戦争では、何の関係もないイラク市民が殺されました。その中から若者を中心に、「武装勢力」という言われ方をしますが、イラクに駐留する米軍を攻撃する人たちが現れてきます。おとなは破壊された米軍車から部品を持ち去り、子どもたちは石を投げつけたりして遊んでいました。

香田証生さんが拘束されている映像 アンサール・スンナ軍を取材

2006年に香田証生さんが人質になり殺害されました。イラクでは5人の日本人が人質にされました。

事件を起こしたイラク人たちは「武装勢力」「テロリスト」などと言われますが、多くは貧しい市民、普通の人たちでした。私が取材したのはアンサール・スンナ軍。彼らも普通の青年たちでした。

 イラクの人たちは日本の広島長崎の原爆被害のことも知っていて、一般の日本人に対しては悪い感情はもっていません。しかし、当時、日本の自衛隊がサマワにいました。武装勢力は銃を持つものに対しては敵だと認識していました。「一般の人を人質に取ることはよくない、イスラムの教えでは禁止されたことである」とも言っていましたが、他に訴える方法がないのだ、と言う声も聞かれました。

 「武装勢力」と言われる人たち。布で顔を隠して銃をもって、すごく怖いですし、日本人を人質にして殺害する映像を流すなんて、私は悪魔のような人たちだとはじめは思っていました。

 バグダッドの武装勢力メンバーを取材する機会がありました。会ってみたら普通のおっちゃんたちでした。ひとりの家に招かれたことがあるのですが、スポーツ用品店のオーナーでした。家の入り口に「ちびまるこちゃん」の絵が描かれていました。かわいい子ども二人の親で、子どもたちはちびまるこちゃんが大好きだったんです。おとうさんは息子と娘の肩を抱き寄せて、ちゃんと宿題をやっているかなどと声をかける普通のおとうさんでした。奥さんはびっくりするくらいきれいな人でした。本当はこんなことしたくないのだけれど、親戚が殺されて、こうせざるを得ないのだと言っていました。

 当時、武装勢力がアメリカ人の首が切り落とした事件がありました。それについて聞くと、彼は「それはすばらしいことだ」と言うのです。

 怖い人ではない、悪魔のような人でもない、おかしい人たちでもない普通の生活をしている普通の人たちが、相手を敵とみなした時に、人質をとったり、首を切って殺したり、死体を見てすばらしいことだと言ったりするのです。ということは、戦争のような状況になると私たちも、あのようなことが平気でできるということです。

アジア太平洋戦争の時でも、普通の人が日本兵として戦場に行き、普通の人にはできるはずがないというようなひどいこともしてきました。私たちも戦場のような状況におかれたときには、イラクやシリアで行われているようなことをしてしまう可能性がある、ということを強く思いました。

 

(2)今も続く劣化ウラン弾の被害

 劣化ウラン弾の取材をしました。

戦車の墓の映像。空爆で破壊された戦車や車か放置されている場所。湾岸戦争で初めてはじて使用された。アメリカは関係を否定しているが、湾岸戦争で大量に使用され、それ以来5歳未満の死亡率が異様に高くなっている。

 

バグダッドの子ども病院。急性白血病になった子ども。再発して目に腫瘍ができている。日本なら治せるが、イラクでは骨髄移植などの手術をする施設がない。彼は勉強ができる子で、学校に行きたいと言う。

骨肉腫で左足を切断した中学生の女の子。再発し、意識が混濁し、その後、亡くなった。

 

 日本のNGOがさまざまな活動している。バグダッドの院内学級も。入院している子どもたちには娯楽がないので、絵をかいたり勉強したりしていました。病院に入院して回復した子どもたちの写真がたくさん貼られていました。多くの子どもたちが亡くなりますが、回復する子どもたちもいて、入院している子どもたちを元気づけている。

 イラク戦争が始まって10年たつが、劣化ウラン弾の被害は今も続いています。

 

(3)イラクの子どもたちと日本の子どもたちをつなぐ架け橋に

 バグダッドに住めなくなった人たち、海外に逃げるお金のない人たちは、親せきがいてより治安のましなところに避難していました。アルビルもそのひとつ。そこにあるジャワヒリ小学校の子どもたちとかかわりを持つことができました。

6年生の授業風景。算数の授業で角度の勉強をしている。 

 イラクはそんなに貧しい国ではありません。子どもたちは小ざっぱりした格好をしていて、日本の子どもたちが持っているような筆箱などをもっていて、日本の子どもたちとそれほど変わりません。右から左に書いていくアラビア語を書いているところを見ると、器用だなと感じます。

 どこから逃げてきたの?モスルから?と聞くと半分くらいの生徒が手を挙げました。バクダッドからは?と聞くと三分の一強くらい。

 子どもたちに聞くと、「三か月前に逃げてきた。モスルにいた時には家の近くに爆弾が落ちて、ガラスが割れたりして、とても怖かった」と。

 バクダッドから来た少年の話。戦争で治安が悪くなり、ギャング、強盗が多発し、いちばん金になるという子どもの誘拐が多発。友達が誘拐されて、要求された身代金が30万円くらい。イラクの給料は学校の先生で月6万円ぐらい。30万円は大金です。身代金を払ったけれど、友達は殺された。そこで少年の家族が心配して移住することになり、アルビルへ来たという。

笑わない児童もいました。二か月前におとうさんが殺されたのです。ある日、車のディーラーの仕事へ出勤したが、そのまま帰ってくることはありませんでした。

 

 イラクの一般の家庭にも招かれました。紅茶に砂糖を入れて客をもてなします。電気もついたり消えたりで不安定ですが、4〜5時間使えました。子ども部屋などないので、子どもは居間で勉強しています。

彼はモスルからきたが、帰りたいかと聞くと、いやだと言う。なぜと聞くと、だって戦争しているからと答えていました。友達にはどこに引っ越したのか言っていない。引っ越し先を教えたら、また家を襲われたり誘拐されるかもしれないからと。

 夜逃げのように逃げてきたので家財道具はほとんど持ってこれなかったそうです。安いものを買って生活していました。イラクでも北部では日本と同じくらい寒い。電気がないのは大変です。二つの部屋に9人家族で住み、布団を敷いて寝ていました。

 

 そのジャワヒリ小学校で、日本の子どもたちのことをお話する機会を持つことができました。イラクの子どもたちと日本の子どもたちとが交流できないかな、と考えていたのです。

大阪の大平寺小学校の卒業式のニュース映像。戦火の子どもたちからのメッセージが届く。イラクのジャワヘリ小学校の6年生全員にプレゼントしたことのお礼。イラクの子どもたちのことを話したことをきっかけに交流が始まり、玉本英子さんが橋渡しをしている。

おとうさんが誘拐されて殺されたり、家族が爆撃で殺された子どもたちのことを話し、日本の様子を伝えたり。時には授業の中でと携帯電話で「コンニチワ」と直接声を届けたり、そのお礼にイラクの国歌のうたごえを届けたり。「言葉はよくわからなかったけれど、気持ちが伝わってきた」と子どもたちの感想。卒業式直前に自己紹介カードを書き、ひとりひとりの宛名書きをしてイラクの子どもたちに渡すと、子どもたちに大好評。いつか本当に会いましょう、と交流している。

大平寺小学校は、在日朝鮮人の子弟が多く通う小学校です。イラクの子どもたちのことを話す機会をもらい、紹介しているうちにイラクの子どもたちと友達になりたい、と子どもたちが言いだしました。どうやったらいいか考えてね、と考えておいてもらいました。はじめは、いらなくなった文房具を集めてプレゼントするというのです。私は本気で怒りました。友達にいらないものはあげないでしょ、友達には一番大切なものをあげるでしょ、とおこりました。三週間後くらいに呼ばれて、手渡し会をしたい、といわれました。子どもたちが自分たちで考えて、顔写真入りの自己紹介カードと好きなものを描いたので、イラクの子どもたちに渡してほしい、というのです。自己紹介カードには、ローマ字で「アイライクタコヤキ」などと書かれていたり、たこ焼きの絵と「ディスイズタコヤキ」、アニメの絵なども描かれていました。ハングルで書いている子もいました。

イラクの子どもたちに持っていくと、大喜びしてくれました。物をもらうよりうれしい、と。実は、文房具などは支援物資でもらっても、「またか」という感じなのです。ノートやえんぴつは腐るほどある。物ではなく、心のつながりがうれしかったのです。そこで携帯電話をスピーカーにつなげて、直接声が聞けるようにしてみました。20分くらいのつもりでいたのですが、いろいろ質問し始めて一時間半くらいの交流になりました。

大阪の六年生は広島に修学旅行に行きます。そこで、広島のことを伝えたい、と言い出しました。紙芝居風に写真に説明をつけてくれました。それを使って、ジャワヘリ小学校で平和授業をやらせてもらいました。

私は大阪の子どもたちが作ったものを紙芝居風に読んだだけですが、イラクの子どもたちは真剣に聞いてくれました。 

二回目の授業の様子の映像。 玉本さんがこれはなんですか?と 原爆ドーム、きのこ雲、ケロイドなどの写真を見せて子どもたちが、それに答えている。 

ある女の子が、「イラクの子たちはたいへんな中でよく頑張っている。でも日本の子どもたちのいじめや自殺のことを知ってほしい。」というので、お話しました。するとイラクでは、「イラクでは自殺はいないよ」と。イスラム教では自殺すると天国にいけないそうです。「そうなんだ、日本の子どもたちも大変だな。テクノロジーがあってすごい国だと思っていたが、大変なんだ。お互いにがんばろう。」と言ってくれました。

 このように、子どもたちとの交流の橋渡しをすることを通じて私も学ぶことができました。

 

(4)「イラクの広島」ハラブジャで原爆写真展

 イランとの国境近くのハラブジャは「イラクの広島」と呼ばれています。6000人くらいの小さな町ですが、イランとの戦争の時に、フセインのイラク軍が毒ガス爆弾をおとしたのです。同じ国の国民に対して。

毒ガス爆弾による死者の写真の映像。

その時の悲惨さを伝えるために資料館が作られています。写真や映像、ろう人形などで当時の様子を伝えています。煙を吸った人たちがなくなる悲惨な映像 後遺症に苦しみ入院している人たち。

私は被曝2世です。ハラブジャの人たちが広島・長崎のことを教えてほしいというので、原爆写真展を開きました。その時のポスターには、きのこ雲と三人の子ども。冬に撮影した写真で、原爆孤児が、食べるものがないので、雪を食べている写真を使いました。「日本は金持ちの国だと思っていたが、戦争の時には雪を食べる子どもたちもいたのかとびっくりした。」と反響を呼びました。

 写真展は、私がひとりで企画し、図書館で開催しました。日本の被爆者の組織である、日本被団協から借りたポスターに枠をつけたり、写真を現地でプリントアウトしたり、地元の学生たちにもバイトとして手伝ってもらいました。

 2006年のことですが、たくさんの人が来てくれました。写真にはアラビア語、クルド語と英語で説明をつけました。地元のローカルメディアが取材に来てくれました。この着物は伯母が大切にしていたもので、 原爆で焼け残ったものです。写真展では、泣いている方も多くいました。今の広島・長崎の写真も展示しました。

来場者の話、被害者の感想 

「化学爆弾の当時の悲惨な光景を思い出した。死体だらけで、目が見えなくなった人もいる。この写真を見たときハラブジャを思い出した。」

「背中全面をやけどしている少年の写真に衝撃を受けた。この写真を見た時に、私の気持ちは正常ではなくなった。ハラブジャのときにも私たちはつらい思いをしたので、その痛みを想像できる。郵便配達をしていた少年にこんな悲劇を与えなければならない理由はない。」

 原爆展では、日本は被害者なだけでなく「加害者」でもあることもきちっと説明しました。すると、政府関係者の人が、なぜ?と聞くのです。「私たちは、戦争において加害者でもある面もあるだから、それを反省した上で戦争はいけないという教育を受けている」と説明しました。すると、「私たちは被害のことしか言わない。加害のことなど言わない。そんな発想はない。日本はすごいな。」と言われました。

 

ハラブジャのことは遠い関係ない外国の話だと思いがちです。しかし、そうではないのです、アルビルでいま裁判の準備をしています。ハラブジャの毒ガスには海外のさまざまな企業が関係していて、その中には日本の企業も含まれているのです。その責任を追及しようと資料集めを始めています。アメリカの弁護士団体も協力し、殺された人の資料が集められています。今後大きな国際裁判になっていくでしょう。

なぜ裁判を?と聞くと、「イラク戦争は終わっていない。なんら解決されていない。私たちは復讐・リベンジでも金のためにやっているのでもない。日本も10社ほどがかかわっていた。この虐殺に世界がかかわっているということを知ってほしい。そのために裁判を起こすのだ。」と語っていました。

 

3、シリア難民キャンプ 

山本美香さんはシリアのアレッポへ行きました。私はイラクのモスルからさらに北にあるシリア国境近くにあるドミズキャンプ難民キャンプを取材しました。

市街戦の映像。アラーアクバルの声

自由シリア軍は反政府軍で、正義の軍隊というイメージがあるかもしれませんが、決してそうではありません。反政府の自由シリア軍は、政府軍が一般人を殺害したのでその恨みから銃を取った人が多いのです。極端に言えばイラクの武装勢力とあまり変わらないのです。もっときちっと取材しなければ…。

政府側のテレビ局の映像。自由シリア軍がテレビ局をおそい、カメラマンを殺害。

自由シリア軍もテレビ局を襲撃して一般人を犠牲にしています。「自由シリア軍はテロリスト」だと政府軍は言います。シリア人同士が殺しあっている悲しい状況です。同じ学校に行った友達同士が殺しあっているようなものです。

 私は、国境沿いを取材しました。

検問所、集落。大丈夫だよと言うが、警護はつけて取材。親戚がシリアに住んでいる人が多い。状況が悪くなって「行き来できなくなって残念」との声。

シリアからイラクに逃げてきた難民キャンプを取材しました。一日100人規模で国境を越えてきています。昨年の7月です。テントには、とりあえずは生活できるものはそろっていて、子どもたちも学校に通っています。砂漠地帯で熱いが、電気があって扇風機も動いていました。

 10日間歩いて国境を越えて、イラクへ逃げてきた家族。布団もイラク政府から支給されました。ある家族は、「帰ったら殺される」と言っていました。なぜ逃げてきたのかと聞くと、旦那さんが反政府軍とかかわり、政府軍に追われて逃げてきたと。シリアの状況はよくない。多くの人は出たがっている。」と。

難民キャンプでは、電気もガスも支給され、とりあえず料理はつくることができます。一週間分の食材。これでは少し足りないかな、と。冷蔵庫もありました。感心したのは、政府が一般市民の分の電気を難民キャンプへまわし、多くの市民もそれに同意してくれていたことです。 

 この人たちはクルド人の家族です。一家に一台水の入ったタンクが支給され、その水で洗ったり料理に使ったりしてますが、水はあまりきれいではない、飲むには適さないようです。トイレはまぁまぁきれいでした。しゃがむ式ですが、向きは日本と逆で、お尻を奥にして、前を向いてしゃがみます。取材したのは夏でしたが、今は冬で日本並みに寒く、暖房などの支援が望まれています。

ドミズ難民キャンプにいる人たちは大きく分けると二つあります。家族と単身者です。単身者は全員が男性。政府軍から逃亡してきた元政府軍兵士たちです。これは身分証明書。名前などはテープで隠して撮影させてもらいました。

シリアでは、21か月の徴兵制が敷かれていて、今、徴兵された人たちが最前線に立たされて、民衆に向かって撃てと命令される。撃たなければおまえを撃つと脅されていたそうです。中にはできないからと空に向かって撃つ兵士もたくさんいたそうです。軍は、空に向かって撃つことを禁止した、と言っていました。

それに耐えられず、家族に頼み込んで、わいろを払って内勤にしてもらい、さらにわいろで休みを取らせてもらって、その隙に逃げてきたと。トルコ側に逃げようとも考えたが、トルコ国境近くは自由シリア軍が占拠しているから、捕まればたいへん。そこで、イラク側に逃げてきたと。

 

自由シリア軍は「テロリスト」とも言われますが、多くが家族親戚を殺されて、その復讐のために戦っています。イラクと同じ。ジャーナリストは、自由シリア軍について取材することが多いので、ついた側の視点の報道になってしてしまいがちですが、自由シリア軍もひどいことをしています。その点を注意して取材しないと。報道を見る側も注意しなければいけません。報道されていること自体が事実だとしても、それ以外にはどうなのか、様々な側面を見ながら考える必要があります。

 

4、東日本震災支援コンサート

これは日本の東日本大震災の光景です。おととし5月に取材したもの。見た目はイラクの爆撃跡とかわりません。人災か天災かの違いはありますが、多くの人が亡くなったことは同じです。

この人はバクダッド大学の女子学生。オーボエを練習しています。うまくないけど、聞いて、と。

彼女は震災のニュースを聞いて心を痛め、バクダッドのコンサートホールで行われた、東日本復興支援コンサートに参加しました。わたしはそれを取材しました。当日は、多くの人が来てくれました。演奏するのは青少年交響楽団。地元バグダッドに暮らす子どもたちの演奏です。

 

「上を向いて歩こう」の演奏

支援コンサートの練習はたった一週間でした。さきほど女子学生が、コンサート終了後、コメントを寄せてくれました。

「私もイラク戦争を経験して、悲しいことがたくさんありました。日本の人たちの気持ちがわかります。私たちの気持ちを伝えることができたらうれしいです。」と言ってくれました。

イラクの人たちは日本にはよいイメージをもっています。日本の人たちにがんばってという気持ちを伝えたい、震災の年の4月におこなわれました。

 

イラク戦争は、「昔のこと、もう関係ないこと」ではなく、まだ終わっていないのです。

イラクの人たちは、日本や広島、震災のことをよく知っています。震災直後、イラクに行くと、見ず知らずのおばちゃんが突進してきて「あんた、無事でよかった」と家族のように抱きしめてくれました。イラクにはそんな人たちが暮らしているのです。

フセイン政権崩壊後、今年で10年です。その瞬間だけはテレビで放映されるでしょう。でもその後、私たちは忘れ去る可能性があります。

忘れてはいけない。関係ないのではない、わたしたちの政府はイラク戦争を支持した。支持した人たちを結果として選んだ。私たちは、イラク戦争に加担した。他人事ではないのです。

日本政府がやったことだから、アメリカがやったこと、と人のせいにしてしまいがちですが、自分のせいでもあるのです。

そしてもうひとつ。戦争が起きたら普通の人が、平気で人を殺せるようになる。私たちはそういう人間である。だからこそ、そうしないために、そうならないために、それぞれのやり方で、考えて、行動しなければならない。それが私の願いであり、微力だが行動していきたいと思います。ありがとうございました。

感想

「初めてエバグリ活動に参加して、シリア・イラク戦争について何も知らなかった。家族を守るために軍に入るためにと思っていたが、家族を殺された恨みから…を初めて知った。

私もブラスバンドをやっているが、一週間で曲を完成するのは難しいのに 気持ちがこもっていて、音色が温かく感じた。」

 

「大変なところを取材しているなと第一印象。3月にイラクに行くときに、アイライク寿司のメッセージを書いてもって行ってもらいたい。気を付けて取材してください。」

 

質問

尖閣問題、自衛隊を軍隊になど、戦争支持に世論が動いている。国民がだまされてしまうのはなぜ?

「戦争を知らないから、行ってしまえ!となるのかな。家族が亡くなったら考えるだろうけれど。知ろうとしたり、考えたり、創造したり、行動したりする力が足りない。ある意味、平和ボケですから。

でもイラクの人たちに聞くと、それっていいことじゃないかという。平和ボケ、いいじゃんと。私たちも平和ボケしたい。知らないし経験もないから、なんでも言える。でも、もしほんとうに戦争が始まってしまったら…。」

 

アルジェリアのこと。湾岸から日本は加害者の立場。現地の人たちから見るとアメリカからいっしょだから?

「アルジェリアは取材していないのでなんともいえないが、一般的に中東の人たちは日本人に良い印象をもっている。日本人と聞くと顔が明るくなるくらい。中東と直接戦争をしていないし、穏やかな人たちというイメージがある。キリスト教徒は敵だが日本人は仏教徒だから違う、という考える人もいる。自衛隊イラク派遣は一時的な問題。根のところでは好感をもっている。アルジェリアでは、日本人は利用できると思ったのかな。日本人なら思いをわかってもらえると思ったかもしれない。日本人を狙ったという報道には私もショックだった。」 

 

イラクの親の生活は? 産油国として職場は?

「イラクの人たちは7割が公務員。あと3割が自営業、農業など。近年、金持ちも増えている。公務員は、8時から2時まで役所などで仕事をして、午後からタクシーの運転手などをして生計をたてている人が多い。教育を受けた女性は多くが働いている。女性の学校の先生、医者も結構います。」


2013_0203エバグリ集合

 


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貴ブログをリンク掲示されている方のブログ(A)が、2011年5月以降更新されていないので、心配しております。(A)ブログに何度もお邪魔した者です。焼津で3月22日に、アーサー・ビナードさんのお話。「焼津クンクン」に詳しい内容があります。
| にんじん | 2013/03/10 11:57 PM |









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