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2012年2月4日 豊田直巳講演 続き
 

7、そしてフクシマで見たこと

そういう取材をして帰ってきたら3.11の福島の事故。私自身が深く反省させられた。2007年の中越沖地震。テレビの映像でも柏崎刈羽原発から火が出ていることが見えた。翌々日取材に行った。原発は壊れていた。敷地内には亀裂が走り、液状化し、原発が1.7メートルも浮き上がっていた。これでは火を消せるわけがない。なぜか。だって、地震なんか起きるはずがない。だから地震で水道管がバラバラになるとは思っていない。だから、水を出そうと思っても出ない。自衛消防隊があっても、水が出ないから119番で消防車に来てもらったという。

 緊急時の指令所になるはずの緊急指令センター。この建物から電話しようと思ったらこの建物には入れない。歪んでドアが開かない。さらに、災害時避難場所は、人が入っちゃいけないほどに壊れていた。原発のあるところには地震は起こらない、放射能漏れはない、だから木造でよい。そういう世の中にわたしたちは住んでいたのだ。

 それらのことを週刊誌で報告し、それで自分の仕事をしたつもりになっていた。そんな私も3月11日の事故を止められなかった一人だという自覚がある。二度と信用してはいけないと思った。

 そして今回も同じ光景を見た。3月13日の双葉町。これが避難場所。普通の民家だ。

 すさまじい地震だった。常磐線が落ちている。そこでは0.6マイクロシーベルト。町役場に近づくとだんだんあがり、19.99マイクロシーベルト。20マイクロシーベルトまでしか測れない計測器なので針が振り切れてしまった。何が起こっているのかと思い役場に行くと、もう逃げた後で誰もいない。近くの原発から4キロくらい離れた双葉厚生病院へ行った。地震の被害のあとはそのまま、あわただしく非難した様子がそのままだった。もちろん地震で避難したのではなく、放射能で避難したところだ。病院から非難する途中で、具合が悪くなって死んでしまった人がたくさんいる。その病院の前では、広河さんが持っていた線量計でも測りきれなかった。すぐに東京の仲間に電話した。携帯電話ももちろん使えない。去年の今頃リビア取材のために用意していた衛星電話で電話して、インターネットで情報を流した。この時点までは、東電も政府も、この辺が高濃度に汚染されているということを一切調べもしないし、黙っていた。東電などは高濃度汚染地帯があることを知りながら黙っていた。枝野官房長官が報道したのは僕らが情報を流した5時間も後のことだ。誰かが指摘しなければ、ほんとうのことはすべて隠されるのかと恐怖心を抱いた。

 ここは津波の被災地で消防団の人たちが助けようとしていたけれども、放射能で汚染され、救助できずにみんな撤退した。岩手県や宮城県ならば一週間後でも一か月後でも地震や津波の被災者は救出され、ドラマとして報道されていたが、ここでは地震津波の被災者は捨てられたのだ。

 この地域は封鎖地帯になるが、その直前にもう一度入った。原発から2キロくらい離れたところ。

 「東京電力福島原発は強い放射能をまき散らしている。」

 農場を訪ねる。地面には地震によって亀裂。ガイガーカウンターの音。

 牛舎の様子。中には牛が倒れている。牛の死骸も。弱っている牛の弱々しい鳴き声。奥では牛がほとんど倒れている。

 4月18日の南相馬市での取材。牛が野放し状態。住民は半分はいられるが、半分はいられない状態。自避難先から自宅に戻ってきた養豚業者に取材。「原発から20キロくらい離れているので自分のところは…と思っていたら…、」「あるだけのエサはやってきたが…」

 1000頭飼っていた豚を放って避難した。しかし、放っておけばえさがなくなり、まわりの畑を食い荒らし、隣のうちのハウスに入り込んで食い荒らし、農家の倉庫に入り、家の中に入り、台所に入り、食べつくしたところで死に果てる。

この養豚業者は6月に県に相談して、自分の飼っていた豚の虐殺を始める。エサで集めて注射を打つ。しかしその前に400頭以上が餓死していた。9月まで自分が育てた豚を薬殺し続けた。しかし、4月以降に生まれた豚は人間を怖がるのでエサをまいても寄ってこない。だから餌付けをしてやっと集めてつかまえて殺す。さらに、イノシシと交配して、イノブタになってしまったらどうするのか。それが汚染されたらどうするのか。そんなことまでは語られず、ほったらかしだ。

アスファルトにある黒い点は牛の糞だ。20キロ圏内に入ると黒い点だらけ。この寒さで死んだろうけれども、1000頭くらいが野放しにされていた。11月の取材の時点では草が残っているので、草を食べる力量のある知恵のある牛が野生化して生き残っていた。これからどうするかはよくわかない。

 「戻れるようになるのか」と心配する佐藤さんとしても、自宅に戻れたのはたった3時間だけ。お墓参りをしただけ。掃除もできないで戻っていった。

 20キロ圏内でもこんな様子だが、思ってもいないところからも高濃度の汚染が現れている。30キロ以上離れた飯館村。3月29日に京都大学の原子力実験所の今中教授のグループに同行した。今中教授と言えば25年前、チェルノブイリの放射能は日本には来ないだろうと言われていたのに1週間後に日本で放射能を発見した人。

 飯館村は酪農で有名なところ。乳牛は毎日乳を絞らないと乳房炎を起こす。一日40リットルくらいの牛乳が出る。そのためには80キロくらいのエサを食べさせなければならない。しかし借金のためにえさを買えない。最終的にこの村の酪農家はやめていく。

そんな飯館村の村長さんは今中先生たちに何と言ったか。「何とかここに残れる方法はないか」と。今中先生は答えようがない。チェルノブイリでは同じくらい濃度のところには人が住んでいない。村長は「どうやったら残れるか」と。なんでそういう発想、言葉になるのだろうか。

子どもたちが放射線量測定を受けたのは3月30日。なんでこんなことになったのか。なんで村長は知らなかったのか。

136億円の税金を使って、スピーディという放射能の汚染地図ができる機械を導入した。3月11日には現場では計算ができていた。3月12日の朝日新聞によると、首相官邸にも、経済産業省の保安院にも、知事のところにも情報は届いていたという。地震の中でも届けることができていたのだ。しかしどうしたか。握りつぶした。だから何も知らされずに、放射能を帯びた雲が頭上を通り、雨が降り、雪が降って、それを浴びてしまった人たち全員が被曝者になってしまった。

南相馬から逃げてきたという避難民が飯館村にいた。逃げるべき方向が間違っていた。知らされていなかった。飯館村の村人も炊き出しをして避難してきた人を支援したが、この人たちも全員が被曝者になってしまった。

 県の依頼で調べには来たが、数字はだれ一人知らされなかった。唯一聞かされた言葉は「安全です」。あとで検査したら子どもたちの尿からセシウムが出てきた。

 4月中旬になると、飯館村にも春が訪れるが、酪農家は牛乳を捨て続ける。放射能で汚染された大地では酪農は続けられないと、泣く泣く廃業していく。測れば10マイクロシーベルト。その中でも子牛が生まれる。

 4月10日、三回目だが県の安全管理アドバイザーが来て、村の幹部を集めて説明した。どうしたらよいのかという質問に「子どもは、このくらいなら外で遊んでも大丈夫、心配する必要はないと」と答えた。「村役場の人たちが、しっかりすればよい。安心してください」。そう言った翌日に、「危険だから計画的避難区域に指定する。全員出ていけ」と。もう村人は行政のことを信用しない。

 飯館村で行われた合同入学式。飯館村の中で入学式をやってこれが最後。翌日からは全員が隣町の河端町の学校で避難生活をすることになっている。

何にも見た目はわからない。測らなければ何も見えない。

 飯館村の酪農は廃業した。「まだ乳を出せるのに」と泣く泣く乳牛をとさつ場へ送る。牛肉にはならないと思う。100グラム10円ならなるかな?コーンビーフにはなるかも。肉が硬いから。

 牛などの生き物を飼っていたら酪農家は避難できない。しかし人間のことを考えれば仕方がないじゃないかと酪農家の中心人物の長谷川健一さんは避難を決意した。「犠牲者が出なくてよかった」とホッとしていたら、電話がかかってきた。残念ながら、相馬市の山中の酪農家の不幸の情報が。54歳の男性が堆肥小屋で自殺したと。ニュース映像。小屋の板壁に、「原発さえなければ…」と。「仕事をする気力をなくしました」「原発に手足ちぎられ酪農家」「先立つ不孝をお許しください」…。告別式。酪農仲間の声。姉の言葉。「5歳7歳の子どもがいるのに・・・。後を追わないように、こんなことがあってはならないから」

 原発事故によって生活が一変した。出荷停止になり、乳を搾っては捨てていた。資金繰りが大変だった。最近では部屋にこもりっきりになっていた。3月末に廃業し、6月10日に書置きをして自殺した。妻と子どもは妻の母国フィリピンへと避難していた。「何もできない父でした。両親にも申し訳ないと」と書置き。積み重ねてきたすべてのものを失わせた原発事故。牛を手放したことで将来を悲観。告別式に駆け付けた酪農家は、「借金を背負っているから、自転車操業だから、それに耐えられる人とパンクしちゃう人がでてきちゃう」と。

 取材して発表するかどうか悩んだ。奥さんと子どもの事が心配だったから。この映像を子どもが見たらどう思うか。まだ子どもたちは父親が自殺したことは知らない。発表することを決意したのは、週刊○○あたりが、おくさんがフィリピン出身であることを興味本位に取り上げる可能性があること、産経新聞あたりがどう扱うか心配だったこと。私が発表することで○潮のばかげた報道をさせないために、産経にもさせないために放送することを決めた。反響は大きかった。お姉さんを支援したいという人が出てきた。

 あとに続く人がないようにと願っていたが、残念ながら続いて南相馬市の農家、川端町の養鶏農家などとどまることを知らず自殺者が出ている。

 飯館村は、人っ子一人いない村になった。行っただけでは廃墟の村には見えない。しかし人の住める場所ではない。国の補助で除染が始まっているが、私はかなり懐疑的だ。除洗と言っても水で洗ったり、草取りをするだけ。飯館村の場合、除染計画は20年、最初の2年で住宅地、5年で農地、さらに10年で山林を3600億円かけて行うと。人口6500人。戸数1700戸。除洗にそれだけ金をかけるより、一世帯1億円払っても除染費用の半額で済む。一人あたり2億円くらいかけて除染して人が住めるようになると思うか。ワサビ農家は無理だ、という。たとえ線量が下がっても、ゼロでない限りそこで作った農作物は、売れるはずがない。自分たちは食べるかもしれないが。

長谷川さんも言っていたが、帰ってきたい、しかし子どもも孫は絶対に帰させたくない。除洗しても線量は下がらない。一瞬半分になるが三か月後になれば元に戻る。周囲は山だから、雨や雪が降れば山から流れてくる。だからゼロにはならない。

農業をやっていればわかるが、表面の一番いい土を取ってしまう。しかもそれをどこに捨ててよいのかさえもわからない。セシウムの半減期は30年だから、5年10年もたてば除染で落ちたのか、半減期になったのかよくわからない。

3600億円はものすごい利権だ。

南相馬市の市長にインタビューした。100メートル四方の除洗費用が1億円かかる。だから信用していない、と市長は言う。南相馬市だけで4兆円かかることになる。とてもできるわけがない。1,2年やっただけでポイすることになるだろう、と。

 除染したら住宅には帰るだろう。しかし大人だけ。そして除洗した水、土をどうするか。村内の捨てるところでも反対運動が起きている。

 

8、核抑止力としての原発?

次々と新しい命は生まれようとしているが、みんな被爆者になる。なおそれでも原発を作ろうとするのが私にはよくわからない。と思っていたら、わかりやすい答えを言う人が出てきた。

 昨年8月に石破元防衛庁長官が「原発があることで核抑止力になる」と発言した。原発でウランを燃やすとプルトニウムになる。それを集めるとプルトニウム原爆になる。原発は核原料を作っているのだとということだ。世界で発行部数の一番多い読売新聞も同じことを書いていた。「核兵器としての、抑止力として原発をやめてはいけない」と。だから、いま原発は日本では3基しか動いていないが、政府にとってはエネルギーとしての原発はどうでもいいのだ。電力会社にとっても借金作れば作るほど給料が高くなるというわけのわからない総括原価方式によって、高い金のかかる原発を作って金を湯水のように使うと自分の給料が上がるからと進めてきたが、今度のことでパアになってしまったからやめたい。でも、政治家が原発を続けたいという。それはエネルギーとしてではなく、核抑止力としてということだったのだ。

 そういう世の中にいると思うと、あらためて「見えない戦場で戦っている」という関場さんの言葉を思い出す。

65年前に終わった戦争。僕たちはその戦争を本当に終えたのだろうか。(拍手)   

 

質問

「イラクで戦車が破壊される劣化ウラン弾によって、空気中にどのくらいの放射能がまかれたのか。どのくらいの線量なのか。」

 

 ガンマー線を測っているが、測れないほど低い。アルファ線はは紙一枚で止まるが、体の中に入れば危険だ。ベクレルは単位当たり放射性物質がどのくらい入っているかという単位。シーベルトという単位では出ないがベクレルでは出る。病院のエックス線など、技師しか入っていけないのが外部放射線。からだの中から浴びるのは内部被ばく。劣化ウラン弾で問題になるのは、空気中や水にはいって体にはいるのではないかといわれる内部被曝だ。それがどう影響してがんや白血病になるのかは、よくわからない。

「自然レベルの放射線だ」などという言い方をするが、放射能はもともとあったんですか。自然なんですか。広島長崎に原爆を落とさなければ、原子力発電所がなければ、核実験がなかったらなかったのではないか。江戸時代にはもっと低かったはず。あとからの核実験や原発のようなもので汚染されたものを天然であるかのような言い方は欺瞞だ。

 

「直に見ることの大切さ、現場で触れることの大切さ。そこでしかわからないことがあるんだと知らされた。島田のガレキ問題について私は反対だが、受け入れ容認の意見もある。汚染されてはいるが受け入れざるを得ない状況があるのではないか。受け入れなれば救うことができないのではないか。浜岡原発で事故が起きれば、どこかに助けてもらわなければならないのだから、助けなければならない、受け入れなければならないのではないか。完璧なフィルターをつけるなどの対策をしたらどうかと言う。

灰になったらほんとうは福島原発東電に帰すべきだ。東電に返してコンクリートに覆う材料にしろなどといわれているが…。そういうまともな人の意見の広がりはどうか。世論になっているか。」

 

 小出さんは、飯館村調査に入ったときの、チェルノブイリの今中先生の同僚で京都大学の原子力研究所にいる人。彼の立場は、政治とか、生活者を全部抜いて、故郷に帰りたいという気持ちを抜いて、学問的な常識だけで言えば、「動かすな」。動かせばまき散らすことになる。どうしても動かして集めるというならば、薄いところから濃いところへ。それが科学の原則だという。

 しかしどうすればよいか聞かれたら、あなたが決めることですとしか言いようがない。とどまりたい人がいる、移転したい人がいる、帰りたい人がいる、子どもだけは返したくないという人がいる。個々でバラバラ。だから、学問的にだけで言えば動かすな。そうでなければ解決不能。

 飯館村の中で除染された土を小宮地区に集めるというので小宮地区の人が反対している。そういう問題が起きてくる。除染の問題では、例えば南相馬市の石神第二小学校。校庭の土を除染しているとはいっても水で流しているだけ。なくならない。側溝から川に流れ、田んぼに入り、海に流れて海の魚が汚染される。そうしたら農業保障をしなければならない、漁業補償もしなければならない。どうすればよいのか、どこでバランスを取るのかは政治の問題だ。風評被害ではない、すべて実害だ。

除洗しているのは建設業者。この人たちも知らないから汚染される。また、福島のおかあさん方が集まる機会があり話を聞くと、除洗するから逃げられなくなるという。こんなに徐洗を一生懸命やっているのに逃げるなんて利己主義だ、何でそんなに怖がっているのと言われる。家庭もバラバラになっているという。家庭菜園で作ったものを嫁が子どもに食わせない。飯館村には2700世帯あった。広い土地に大きな家で4世帯同居などもあった。それが狭い仮設住宅を強いられ、バラバラにならざるを得なくなっている。

 仮設のじいさんばあさんは帰りたいと思っている。おそらくそのうちに帰るでしょう。しかし10年で終わり。その方たちが亡くなって終わり。次はだれも行かない。70歳80歳の人たちが帰ったとして、その人たちの食事をどうするのか、病気になったら誰が救急車で運ぶのか、誰も行く人がいないのに。だから安全論が出てくる。安全だと言えばすべてすっ飛んでしまう。

 島田市のガレキ問題。山田町は陸前高田の北。そのガレキを島田へ運んで焼却すると言う。たしかに山田町の汚染は静岡とたいして変わらない。それくらい離れている。島田市の市民は放射能を理由に拒否するのであれば疑問を感じる。しかし、科学的に言えば動かさないのが大原則。それよりもゴミをなんで島田市にもってくるの?市の職員なり清掃のプロ、焼却炉のプロが行って向こうで焼却炉を作ればよいのに。雇用も生まれるのに。なんでゴミを動かすの。藤枝のごみを島田に持ってくるということにはならないでしょ、無駄だから。現地で処理するのが原則。どんな影響が出るかわからないことだから科学の原則に従った方がよい。

 僕は川根の出身。高校の同級生が有機でお茶を作っている。残念ながら、その乾燥茶1キロから138ベクレルの放射能が検出されたという。彼はそれを売っているという。検出された数字は情報公開して売っていると。僕は疑いました。福島のどさくさに紛れて浜岡が窓開けただろ、と。浜岡ではふだんから放射能が出ている。漏れていないなんて嘘。だから働いている人は被曝して病気になっている。

 

 地震学者や設計者が政府の安全委員会を辞退しているが、彼らのような主張をする人を安全委員会などの政府の委員にするなんて今まではいっさいなかった。あたかも公正中立を装うために入れた可能性もあるが…。

 小出先生も最近はよくテレビに出ているが、今まではテレビに出るはずがなかった。出せばそのプロデューサーはクビ覚悟だから。4月4日、正力松太郎の日本テレビで小出さんを出した。プロデューサーに大丈夫ですか?と聞いてしまった。社内ではいろいろありますと。多くの人は良識ある学者が反対していることは知らない。いままでは出ない、出させなかったのだから知るわけがない。小出先生など半年で15冊も本を出している。ほとんど同じ内容だけれど…。だってそんなに書けないですよ。僕でもせいぜい1年に1冊。講演内容を編集者がまとめているだけ。

 ネットの世代と情報の格差が大きい。しかしまだまだテレビの影響力は大きい。一説によると、静岡新聞もかなり変わったという。原発の反対の人から見ると物足りないかしれないが、かなり中立になってきている。ほんとうに真剣に考えざる得なくなっているからだろう。言った責任が問われるから。

個人攻撃をするつもりはないが、週刊新潮と産経はひどい。産経新聞は平気でうそをつく。新聞記者に友人はいるし、その人はうそつきではないが会社の方針として間違っている。そのせめぎあいをどうするかは、一般世論と原発賛成の産経を含めて考えざるを得ない

 しかしもっと大きな敵がいる。最大の敵は無関心。きょうの新聞の一面広告は私立中学の試験のこと。人々の最大の関心は原発ではなく日常生活にある。皆さんもこの会場を出ていけば、どの店がおいしいとかになるでしょ。24時間原発のことを考え続けることはできない。でもそれでいいんです。

福島の人は「頑張れ福島」が一番嫌いだという。十分頑張っているのに冗談じゃない、と。小学生の子を持つおかあさん方に集まってもらったら、こういう場があることだけでもうれしい、と。自分の悩みさえ言えないという。

 

 質問「チェルノブイリでは原発事故後、甲状腺の手術をした子どもが増えたという。福島でも今後どんな病気になるのか、ならないのか。なった場合、公費で治療を受けることができるようになるのか。そのためにはどんな運動をしたらよいのか。」

 

「ただちに、健康に影響はない」とは言うが、甲状腺がんは増える。チェルノブイリでは6500人の子どもが甲状腺がんになった。ヨードチンキを飲めばよいといわれるが、ダメです。昆布を食べれば戸もいうが、どれくらい食べればいいのかわからない。

 僕と森住は、万一に備えてヨード剤は持っていた。ヨード剤は病気を直すわけではない。甲状腺にヨードを取り入れておくと放射能を帯びたヨウ素が入らなくなるということだ。一つの説だが、日本人は最初から昆布やわかめをけっこう取ってるので、そんなに甲状腺がんにはならないという希望的な観測もある。僕もそれに期待したい。

 他の病気はよくわからない。一番良いのは、福島で言えば、健康調査をすること。モルモットなるならいやだという人がいるかもしれないが、それは結果を本人に知らさないから。早期発見・治療に役立てるための検査で、治療を無料にするなら検査を受けに行くだろう。甲状腺がんも早めに手術すれば治る。それが病気の治療の基本。被曝した人には全員検査と医療費無料。機材が足りないからまずは子どもたちから。誰を優先するか、お年寄りは順番が遅くなるが覚悟して取り組むべきだ。しかし必ずズルする人が出てくる。政治家でずるい人がいる。村民には逃げるなと言いつつ自分の子どもは逃がした人が。

 そういう覚悟をすれば、医療費も結果的に安くなるはず。増税ではなく、削るべきところがほかにある。あのカーチス・ルメイが作った自衛隊。その防衛費を削る必要がある。いつ入ってくるかわからない136億円もするF35。買ったって現物が届くかどうかわからない。そんな戦闘機を買おうとしている。カーチス・ルメイ、やっぱり勲章なんだろうなあ。難しかったですか。(笑。拍手)

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