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2012年2月4日 豊田直巳講演会 記録(抄)
 

第8回 エバーグリーン 2012年2月4日

豊田直巳講演会・写真展 「フォトジャーナリストの見た世界とフクシマ」 講演記録

1、はじめに

 川根の出身。高校時代は、解放感から、担任の先生のお宅に出かけていっぱいお酒を飲んで泊まってきてしまったというようなことが記憶に残っている。

 さきほどの若者たちの朗読劇で紹介された第五福竜丸事件にもあったが、原爆、原発、放射線は静岡県民にとっては近しい問題だ。にもかかわらず、わたしたちは簡単に忘れてしまい、とうとう3,11の事態を迎えることになってしまった。

 第五福竜丸の時にもたくさんの署名が集まった。しかし、全く機能しなかった。1982年に国連の軍縮会議があり国民的に運動が広がり、全国で8000万以上の署名が集まった。しかし、総会があったにかかわらずそれがまったく機能せず、核兵器は一発も減らすことができなかった。その署名はどうなったか。国連本部の床が抜けてしまう。置いておく所がない。ということでゴミ箱に行ってしまった。だから署名したからいいんだということにはならない。署名はしても核兵器も原発もなくならない。そういうことを考えていかざるを得ない時代になってきているのだと思う。

藤枝市の市民団体が市議会に請願書を提出したと新聞に紹介されていた。市議会はなんらかの行政的な判断を下さざるを得ない。浜岡原発の廃炉の決議があがって公的な決議となってなんらかのことをしなければならなくなるだろうが…。

 私たちは静岡県民だから、まず焼津の第五福竜丸を思い出したい。あんな遠いビキニまでたった一隻第五福竜丸だけが行っていたのか。だとしたら大儲けしていただろう。ビキニで操業していた漁船は、高知県にもいたし韓国にもいた。そして同じように被曝させられ、後遺症に苦しむ人は、いまもいっぱいいる。そう考えていくと、「私」個人の問題ではなく、私たちの問題としてどんな人たちと一緒に考えなければならないか、共同して行動していかなければならないのか、そしてどうすれば平和を作る人、「ピースメーカー」になれるのかが見えてくる。

 

2、見えない戦場で戦っているみたい

 今日は福島の話から。10ヶ月前のことからお話を。

ビデオ映像 「100マイクロシーベルトくらいある、近づかないほうがよい。屋根から流れてたまったところは…500だ。これは近づかないほうがいい。」「そうなの?500だって!!」

「目に見えない戦場で戦っているみたい。」

 これは、事故から一ヶ月と一週間たった4月17日、福島原発から25キロ離れた浪江町。ダッシュ村から1キロほどのところ。原発からは25キロの地点だが放射線量は500マイクロシーベルト。ということは0.5ミリシーベルト。一年間に1ミリシーベルトまで浴びさせてもよい、というよりもそれ以上は浴びさせてはならないから、管理者は行かせてはならない。そういうところになってしまっていた。2時間で1年間分を浴びてしまうことになる。

 関場さんご夫妻はそこになぜいたのか。会津若松へ避難していたのだが、猫を置いてきたので1週間後に戻ってきて取りにきた。そこで初めてどのくらい汚染されているのかを知って驚いた。

 一ヶ月間も知らされていなかったのかというと、実は知らされていた。警察官、防護服の人たちが道路の向こう側に立って、線量をはかっているのを関場さん夫妻は見ている。何しているんだろうと思って聞きに行ったら、「大丈夫ですよ」と言われた。だから戻ってきた。しかし、私の話を聞いてはじめて500マイクロシーベルトもあることを知った。その後、警察官に会って「汚染されているそうですね」と聞いたら、「ごめんなさい」とおまわりさんが言った、という。

 「戦争に行って、目に見えない戦争をしているようだ」ということばは至言だ。放射能のことが目に見えないだけでなく、知らされていない。関場さんはおとうさんから戦場の話をよく聞いていたので、その言葉が出てきたのだろう。戦争のことも僕らはどれだけ知っているか、知らされていないで戦争が起こされていたのではないか。

 シーベルト、ベクレル、レントゲン…、いろいろな言葉を聞かされて、ようやく事情が分かったときには、もう被曝している。戦争が始まっている。

 

3、湾岸戦争での劣化ウラン弾

 そう考え始めたのはガイガーカウンターを持って湾岸戦争・イラク戦争で使われた劣化ウラン弾の取材から。原発で燃やしたウラン、天然ウランには火がつかない(核分裂の連鎖反応は始まらない)。ウラン235と238があって…、眠い人にはスタッフがふとんを用意してくれるので…(笑い)

ウラン235は鉱石の0.7%くらいしかないので、3〜5%くらいに濃縮する。そうすると核分裂を初めてエネルギーを発生する。濃度をもっと濃くすれば原爆になるが…。そのときのかすが劣化ウラン。爆発はしないけれども放射能は出し続ける。ウランの原子番号は92。非常に重い。原子番号26の鉄の約2.5倍。これで弾丸や砲弾をつくる。これは地面に刺さった劣化ウラン弾の写真だが、戦車に当たると2800度くらいの熱を発して貫通し、一発で戦車は破壊される。ウランは微粒子になって撒き散らされる。60年も前からわかっていたのだが、実際に使われたのは、1992年の湾岸戦争から。そのときのアメリカ大統領はブッシュ。パパブッシュ。子どもはバカブッシュ。(笑い)イラクがクウェートに侵攻した。イラクがアメリカに引っ掛けられたと言われているが…。クウェート危機の中で、サダム=フセインが、油田を破壊してペルシャ湾に油を流してタンカーを通れなくした。その石油でウミウまで油まみれになった。とんでもない環境破壊。フセインはとんでもない環境テロリストだ」とアメリカは非難した。

 15歳のナイラちゃんがイラクから帰ってきて、アメリカの議会で涙ながらに訴えた。ボランティアでイラクの病院に行っていたら、イラク兵が入ってきて新生児保育器から新生児を取り上げて床に投げつけて殺した。それを見てしまったと泣きながら訴えた。イラクは「ベイビーキラー」だと非難した。「そんなイラクはやっつけてしまうえ!!」と翌年湾岸戦争に突入。ピンポイント空爆でシェルター(防空壕)を空爆した。

その中で、アメリカ兵もさまざまな病気にかかるようになった。脱毛症・疲労感・痛み・記憶障害・倦怠感や関節痛、そして手足のない子どもが生まれた。よくわからないから、湾岸戦争症候群と呼ばれた。イラクではがんや白血病の子どもたちが多発。そこで取材に行くことにした。

 そのころになってやっとほんとのことがわかった。ペルシャ湾で油がばら撒かれたのは、イラクではなくアメリカ軍が油田を爆撃したからだという事実が。知ってか知らずか、イラクがやったかのようにアメリカの広告代理店が宣伝し、日本でも報道されていた。

 ナイラちゃんがイラク兵を見ているはずがない。この子は在アメリカのクウェート大使の娘さんだ。クウェートには行ったことがない。ワシントンに住んでいたのだから。涙ながらの証言は、広告代理店の副社長が書いたシナリオだった。涙を流す演技指導まで受けて、アメリカ議会で証言し、それが中継されたのだということがわかった。ニューヨークタイムスでそれがあばかれた時には、劣化ウラン弾がばら撒かれ、決着がついた後だった。そのつけをイラクの子どもたちが負わされることになった。

 ウラン238の半減期は45億年。地球ができてから約45億年。ということはウランの放射能が半分になるのは地球誕生から今までの年月がかかるということだ。

 ウランは危険である。その証拠に日本の法律では、300グラムのウランを黙って持っていたら逮捕される。核燃料管理法で違法とされている。危険だから。そんなこといままで私たちは意識しなかった。だって、沖縄に住んでいないから。沖縄では、1995年アメリカ軍が射爆場鳥島で1540発の劣化ウラン弾をバラまいた。飛行機、ヘリコプターの機関銃でバリバリと撃った。違法なものをアメリカ軍が撃ったら逮捕されない。アメリカ軍も2年間黙っていたし、通告してから1年間も日本政府は黙っていた。それがばれたから、沖縄の人たちは探しはじめた。地面に刺さっているものもあったので拾い集めた。しかし結局200発しか見つからなかった。残り1300発はどこに行ったのかわからない。島が小さいから海に落ちているのだろう。文科省も困った。そこで「安全です」と宣言する。違法な物もアメリカがやると「安全です」となる。

 子どもたちの白血病やがんの多発がウラン弾が原因だとは私にも断言できない。世界中の科学者も言えないだろう。良心的な学者たちも不謹慎な学者たちも調べてはいるが、まだよくわからない。しかしはっきりしているのは、ほかに原因が考えられないということ。そして米軍も、劣化ウラン弾は危ないから気をつけろという教育ビデオを作っているということ。しかし兵士には見せなかった。なぜか?兵士が怖がるから。

 危ないことはわかっている。内部被曝によって遺伝子が傷つけられるからとか、免疫力が落ちるからとか、隣の細胞が傷つけられるからなどいろいろ言われてはいるが、本当のことはまだよくわからない。どうしてかはよくわからないが、少なくもと危険性はみんな知っている。だから持っていると違法だということにしている。

日本でも白血病にかかる人がいるが85%は助かる。しかしイラクは経済制裁を受けていたし、医療技術も入ってこなかった。今写真で見せている子どもたちは、残念ながら今イラクでは生きてはいない。

 その戦争のきっかけは、まったくのウソとデマ。広告代理店が宣伝を組織的に行った。さきほどの「見えない戦場で戦っているようだ」という関場さんの言葉が思い起こされる。私たちはほんとうのことを知らされていないのだ。

 

4、イラク戦争で見たこと

 9年まえの湾岸戦争に関わっていたので、今度こそ戦争は止めたいと思っていた。だから2003年、イラク戦争が始まる3時間前に私たちはイラクに入った。バカブッシュの時だ。イラクにはいると劣化ウラン弾で撃たれてまる焦げになった戦車が目の前にある。外国人ジャーナリスト200人が泊まっていたビルの目の前を低空飛行で戦闘機やヘリコプターが劣化ウラン弾を打ち込んでいる。そんな様子を見てきた。湾岸戦争では100万発が使われたが、非難があがったのでイラク戦争では公表していない。しかしアメリカ軍は劣化ウラン弾を優秀な兵器だと思っているから大量に使った。

現場ではただ戦車が壊れているだけ。放射線は見えないから住民にはわからない。だからいままでどおり生活している。私たちはガイガーカウンターを持って行って、戦車にあいた穴に当てて計った。正直怖かった。3マイクロシーベルトもあったのだから。いまの日本だとそんな数値で心配してバカじゃないのといわれる数字だ。そんな世の中になってしまったのだが…、3マイクロシーベルトは怖い数値だ。なぜならば、3.11の前の東京の100倍もあるのだから。僕らは3.11のあの事故でおかしくなってしまったのだ。関場さんのところの500マイクロシーベルトなんてこの世にあってはいけないことだ。しかしこういう機械を持っていない人たちにはわからない。調べるための機器も試薬もない。

この戦争が起こってからガンや白血病、免疫不全が増えていることは事実だ。異常出産も多くなっている。足が一本しかない人魚のような赤ちゃんも生まれた。この戦争が始まる前の2倍になっている。去年は100例、それが200例を越えているという。何なんだろうかと疑問に思われている。

 

5、広島・長崎をもう一度とらえなおす

 広島・長崎を経験している日本、唯一の被爆国日本がなぜ鈍感なのだろう。自衛隊をイラクのサマワに派遣するときに川口順子さんは「劣化ウラン弾は危険ではありません」と言い切った。当時の石破防衛庁長官も「安全です」と言った。でも、より安全にするためにといって自衛隊員に放射線探知機をつけさせた。安全であるわけがない。しかしそれがまかり通ってしまうのはなぜだろうか。

 8月6日の広島では毎年灯篭流しが行われ、64年前の原爆の犠牲者を弔っている。今でも被爆者がご存命で「ノウモアヒロシマ」と訴えている。そして秋葉市長たちが国連の軍縮会議に出席して核兵器廃絶を訴えている。しかし1945年8月6日、翌日の新聞には「新型爆弾落とされる」という記事だったものが、8月9日の新聞記事には「原子爆弾」と紹介された。8月10日には理化学研究所の仁科博士が広島に入って放射線量を測った。放射線が強い、放射化していることを知って、原子爆弾だと断定した。京都大学の荒勝文策(あらかつ ぶんさく)先生は、10日に広島に着いて、土壌を検査して翌日京都大学で原子爆弾だと断定した。大阪大学のグループも原子爆弾だと言った。なぜわかったのか。簡単なことだ。自分たちも作っていたから。陸軍から2000万円の予算と資材と材料をもらって仁科芳雄先生が中心となって東京の理化学研究所で原子爆弾開発の極秘研究(ニ号研究)を開始していたから。京都大学の荒勝先生も、日本で最初にノーベル物理学賞をもらった湯川秀樹博士と一緒に海軍から60万円の予算をもらって原子爆弾を作っていたから。だから広島・長崎に落とされたのが原爆だとわかった。

 このことはほとんど語られてこなかった。私が「原爆を作っていた」と言ったら批判を受けた、「研究していた」のだと。ほんとうに研究していただけなのか。だったら、ヒトラーからウラン235を分けてもらって潜水艦で日本に運ぼうとしていたのはなぜか。Uボート238号。ドイツが降伏し、アメリカ軍に拿捕されて、なかから出てきたのがウラン235だったのでわかった。

 あるいは、中国で、朝鮮で、インドネシアで、ウランを集めていたのはなぜか。たしか清水港にも入っていたはず。原発事故が起こった福島県の石川町で中学生(現在の高校生)にスコップで、しかもわらじ履きで、使えもしない量だけれどもモナサイトを掘らせていたのはなぜか。

 湯川博士が書いているもののなかに、726日に海軍との会議でのやり取りが紹介されている。「もう無理だ、間に合わないと言った」と書いている。原爆開発をそこまでやっていたということだ。私たちは核兵器のことをアメリカの問題だと思っているからよくわからないのかもしれない。

 戦後、なぜその話が消えてしまったのか。そして核の平和利用などといって原発を受け入れていくのか。東京を焼け野原にした3月10日の東京大空襲。B29による焼夷弾のじゅうたん爆撃で10万人が焼き殺された。その作戦の中心人物がカーチス・ルメイ少将。彼は戦後、アメリカ人で最初に日本から勲章をもらった人だ。それをどう考えるか。10万人を焼き殺したからではなく、戦後、航空自衛隊を作った立役者だから。裏で動いたのは、小泉純一郎のお父さんだった。それをどう私たちはどう理解したらよいのか。

 長崎の被爆者で、一番若く被曝した人はこの市場さんだ。市場さんが被爆したときはお母さんのおなかのなかにいた。だから被爆二世ではなく被ばく一世。笑っているのは歯を見せてくれているから。あとはぜんぶ入れ歯になってしまったが、一本だけ乳歯が残っている。永久歯が生えてこなかったから。それだけでなく彼はいくつもの病気を抱え、働くこともままならない。そこで、お母さんが原爆から5,6キロのところにいたから自分も被爆者ではないかと何度も申請した。いまだに認められていないので裁判を起こしている。65年たっても原爆症に苦しみ、被爆者とは認められない。そのことを私たちはどう考えたらよいのか。

 この人も一番若い被爆者のひとり。栗原貞子さんの書いた詩「生ましめんかな」に登場している。広島に原爆が落とされて、みんなが血まみれになっている中で、あるおかあさんが子どもが生まれるという。何もない中でどうしてよいのかわからない。そしたらある産婆さんが、「私が産ませましょう」(うましめんかな)、と。地下室で赤ちゃんを取り上げたが、産婆さんの方は明け方を待たずに亡くなってしまった。その詩で広島の絶望と赤ちゃんが生まれる希望を描いた。教科書にも載っている有名な詩だが、あまりに劇的なのでフィクションだと思っていたら、その詩の赤ちゃんがこの小島和子さん。誕生日は8月8日です。和子という名は、平和を願って亡くなったお姉さんが託した名前。彼女が被爆者としては一番若い。その小島和子さんがいまも数年に一回は広島の放射能影響研究所(放影研)に尿や血液のサンプルを渡している。彼女は次の世代のために役立ってくれればと思って渡しているのだが、集めている放射能影響研究所は、この人たちの治療は何もしなかった。なぜならば元の名前はABCCというアメリカの軍の機関だから。ABCCは、1945年9月には広島に入って、死んだ人の肉や骨を採集し、被爆者を集めて血液を採り写真を撮り、被爆者の治療もせずに20万人くらいの人の資料を集めた。つまりモルモットにした。いまでも放影研は被爆者をモルモットにしている。でも、被爆者は「被爆者手帳運動」をして、治療費無料になっているが、モルモットであることに変わりはない。

 いま福島の人たちが医療費無料にしろと言っている。また自分たちをモルモットにするのか、冗談じゃないと言って怒っている人が何人もいる。やろうとしているのは長崎大学から行っている山下俊一教授を中心とした福島医科大学のグループだ。

 実は、もっと恐ろしいことがあった。アメリカ軍が日本人をモルモットにする前に、陸軍海軍の医者たちが広島にいって、長崎の人々の6000人から1万人くらいの調査をし、日本では公表せずその資料を英訳してアメリカに全部渡している。新しい被爆者の治療に役立てるのではなく、アメリカの原爆の効果がどのくらいだったのかということに使っているのだ。その証拠に広島の放影研の所長、重松逸造は、チェルノブイリにいって、広島から来た放射線の権威ですと言って、何と言ったか。「チェルノブイリに被爆者はいません」と。そういう国にわたしたちがいるかと思うと、どうしたらよいのか考えざるを得ない。

 

6、チェルノブイリで見たこと

 こんなことが起こるとは思わなかったので去年の2月にチェルノブイリに行ってきた。26年前の事故を起こした4号炉は石化し、コンクリートで覆っているが、石棺が崩れそうなのでさらにカバーしようとしている。でもまだ放射能が出ている。しかし浪江町ほどではない。30メートルくらい離れたところで測っても30〜40マイクロシーベルトに過ぎない。でも、原発から30キロ以内には人っ子一人住んでいない。管理者と注意している作業員など働いている人だけしかいない。5〜7万人いた原発労働者の町は朽ち果ててしまった。一度も使われなかった遊園地も。朽ちたのは大事故のせいばかりではない。当時はソ連だが、崩壊していくつもの共和国に分かれたこともあるが、いくつもの町が森の中に消えようとしている。これから福島がこのようになっていく可能性を否定できない。浪江町の、双葉町、飯館村の25年後の姿にも見えてくる。そして静岡県民も福島のことだと言っていていいのか。

 原発のあったのはウクライナ共和国。隣のベラルーシ共和国のなかに、原発から150キロも離れている地域にホットスポットができ、一人も住んでいない地域がある。そこから資材を持ち出さないために村を埋めている。建築資材に残った放射能が持ち出されないようにするために。

 続く

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