静岡高教組の教育研究ブログです
ページ: 1/58   >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
エバーグリーン 玉本英子講演会・写真展報告・感想
 

平和に「平和」を実現する方法                 橋本 純

「怖い人ではない、悪魔のような人でもない、おかしい人たちでもない普通の生活をしている普通の人たちが、相手を敵とみなした時に、人質をとったり、首を切って殺したり、死体を見てすばらしいことだと言ったりするのです。ということは、戦争のような状況になると私たちも、あのようなことが平気でできるということです。

アジア太平洋戦争の時でも、普通の人が日本兵として戦場に行き、普通の人にはできるはずがないというようなひどいこともしてきました。私たちも戦場のような状況におかれたときには、イラクやシリアで行われているようなことをしてしまう可能性がある、ということを強く思いました。」(玉本さんの言葉)

玉本さんの話を聞きながら、ミルグラム実験を思い出していた。ユダヤ人を絶滅収容所へ送り込む指揮をとったヒトラーの側近、アイヒマンが戦後の裁判で「私は命令に従ってやっただけだ」と弁解したことから、人はなぜ、どこまで残酷になれるのかを考察するために行われた心理学的な実験である。詳細は略すが、「ふつうの市民が」状況によってはとんでもない残酷な行為(60%以上の人が解答を間違えた罰として生徒役の人に450ボルトもの電気ショックを与える)をしてしまう。「自分の意志ではなく、私は命令に従ってやっているだけだ。」と責任転嫁し、「正しい目的のためにやっていることだ」「間違えるから悪いのだ」と正当化して、私たちはなかなかブレーキが利かないらしい。

「戦争が起きたら普通の人が、平気で人を殺せるようになる。私たちはそういう人間である。だからこそ、そうしないために、そうならないために、それぞれのやり方で、考えて、行動しなければならない。それが私の願いであり、微力だが行動していきたい」という玉本さんの最後の言葉。自分自身の弱さや内に秘める残酷さをも見据えた感覚。ここに「平和」をつくる鍵があるような気がした。

「平和」は、敵対する者や自分を脅かすものを消滅させるのではなく、声高に叫べば実現するわけではなく、「平和」とは、地道に人と人とをつなげていく活動のことなのだ。

 つながることで、ほんとうのことを知ることができ、(敵対する者同士も)お互いに分かり合うことができる。

 だからこそ真実を伝える仕事は、「報道」が最終目的ではなく、もちろん怒りを駆り立てるためでもなく、人と人をつなげることだったのだ。

 私たちの「エバーグリーン」の活動も、人と人つなげる場。こんな場をたくさん作ることが、平和活動なのだ。とあらためて確信をもつことができた。

  玉本英子さんの講演会に参加してくれた杵塚民子さん(藤枝市で無農薬茶をつくる杵塚敏明さんの娘さん)が主催して、台湾の学生を招いて交流会をするというのでエバーグリーンの若者たちを誘うことになった。台湾でも稀な存在らしい「行動学校」と称する学校の教育活動にも興味がわいたが、それよりもその企画を主宰する杵塚民子さんに深い感銘をおぼえた。彼女は「友だちになることが平和の基礎」だという。「大量殺戮兵器につながる農薬を使いたくなかっただけだ」という父杵塚敏明氏が「わたしは娘たちに平和主義者になれと語ったことはないが、いつの間にかこんな活動をするようになっていた」とうれしそうに語る姿に、私たちの向くべき方向があるような気がする。


イラク・シリア 紛争地域から見えてくるもの

〜紛争をなくすために私たちに何ができるのか〜

平田麻奈

  戦争・紛争には、世界中のだれもが関わっている。武装勢力も反政府軍も政府軍もみんな本当は戦争をしたくない、国民同士で殺し合いはしたくないと思っている。みんな思っていることは同じ・・・なのに戦争・紛争が続いている。なぜ、終わらないのだろうか。

 今回の講演会は、ジャーナリストの玉本英子さんでした。そして、初めての実行委員長を務めさせてもらいました。学生の中では一番年上なのに自分から発言したり、考えたりできず、頼りにならない実行委員長でしたが、無事に講演会を終えることができて良かったです。

 玉本さんの講演を聞いて、紛争地域で現在起こっていることや、戦争や紛争を行なっている兵士たちは私たちと同じ思いでいる人がほとんどであること、私たち日本人も、もしそういった日が来てしまったらどうなってしまうかわからないということなど、驚くことがたくさんありました。

 戦争や紛争が起こる前は、どの国も皆が楽しそうに生活をしていたのに、どうしてあんなことが起こってしまうのか不思議に思いました。また、戦争や紛争に関わっている人たちは、ほとんどの人が国民同士での殺し合いや、銃を持ち人を殺したくないと思っていて、でも、自分の家族や親せきが殺されたからその悔しさと恨みで銃を持ち戦いに参加している。この悔しさや恨みでの戦い、殺し合いをなくせば戦争はなくなる気がしました。

 しかし、主に戦争や紛争を支持しているのはその国の政府かもしれない。政府の考えを変えていくのは国民一人一人の力だと思うので、一人一人の意識を変えていかなければいけないのかなと思いました。その思いがいつか政府の考えを変えていける日が来ればいいなと思います。

 戦争についてなど他の国の情報を集め知識を増やすことも大事なことだと思うけど、その少しでも知った知識からどんどんできることを行動に移していくということも大切だと思いました。

 今回の公演会から、普段のニュースでは悪く言われている、武装勢力やテロリストも私たちと同じ思いを持っている人たちであるということを知ることができ、みんな本当は戦争なんてしたくないと思っているということを知ることができました。また、日本から遠く離れた国の小学生たちが日本について興味を持ってくれているように、私たちも他の国について少しでも興味を持ち、交流する機会があれば積極的に交流して繋がりの輪を広げていければ良いなと思いました。

 紛争をなくすために私たちにできること。考えれば考えるほど難しくなるけど、繋がりを広げたり、周りの人の意識を変えていったり、行動しやすいことから始めてみる…??

 国同士・国民同士の戦いは、スポーツだけになってほしい。。。


   未来への明るい兆し             高島美玲(藤枝市民)

 今回の企画がすべて終了し、長女と家へ向かう車中、満たされた気持ちでいっぱいになった。何がこんなに満ち足りた気持ちにさせてくれるのだろうか。考えを巡らすとそれは、玉本英子さんの暖かな生き方そのものではないかと思えてきた。「過酷な境遇におかれた人びとの思いを伝えたい。」ただそれだけの思いでイラクに赴き、イラクの人々の中に入り、関わりつながりを広げていく。それは、私たちが、普通に暮らし、生きることとなんら変わりはないのだ。原爆展を開催して、イラクの人たちに原爆について伝えること、福島について伝え震災復興支援コンサートを開催すること、イラクの小学校で授業を行うこと、そして大阪の小学生とイラクの小学生を結びつけること。ジャーナリストなどという肩書きに重きをおくのではなく、世の中を変えようなどと気負った考えをするではなく、ごく普通に思ったことを思った通りに行動に移す。そして、その視線は、政府軍でもなく自由シリア軍でもなく、そこに暮らす人々に注がれている。そのような玉本さんの姿勢が、今までにない満ち足りた思いをもたらしてくれた。玉本さんはきっとこれからもイラクの方々と関わりを持ちながら、日常を紡いでいくのだろう。「原爆展の準備は1人で大変でなかったですか。」と伺ったところ「イラクの友人が手伝ってくれましたから。」という答えがかえってきた。1人の思いは、共感を呼び広がりつながっていく。そんな結び目がこれからも次々と生まれてくるだろう。

 お会いした玉本さんは、ブーツにコート姿で、とてもおしゃれでかわいらしい方だった。その玉本さんのどこに戦場取材に行く強さや厳しさが秘められているのだろうか。講演後の恵方巻きでの交流会では、嬉々として寿司を巻き、おいしそうに頬張る姿にこちらも随分楽しい時間をいただいた。朝からの準備で、お腹もすいていたからだろうか、いやきっと橋本さんや中野さんの思いが込められているからだろう、恵方巻きは、どれもおいしかった。玉本さんの巻いた「玉本寿司」もいただいた。なんだか得した気分だ。

 さて、今回の講演会で印象に残ったことは、イラクの学校では「文房具はいらない。」ということと「いじめで人が死ぬのはかわいそうだ。」という言葉だ。また、原爆展を見た方が、「ハラブジャでの記憶を思い出した。」という言葉だ。以前ヒロシマ市長の秋葉氏が「都市は戦争の記憶でつながっている。」というようなことを言っていらしたが、まさしくその通りだと思った。市民同士が、つながっていくことで平和を希求できる時代に入ってきたといえるだろう。そんな中、毒ガス攻撃の際に、日本の企業も関わっていたという報告は恐ろしい限りである。自身の家族が、知り合いが毒ガスで苦しんで死んでいくという想像力を働かせたら・・・。フセイン政権崩壊に力を貸すことでイラク市民を悲しませることをしてしまったことを想像できないとしたら・・・。日本という国に生まれたという責任を、私たちひとりひとりが背負っている。玉本さんは、私たちにそう問いかけている。厳しい問いかけだ。満たされた思いを抱きながら、考えているうちに息苦しくもなってきた。相反する思いを抱きつつも、笑うことで、話をすることで、食べることでたくさんの人とつながって、未来への明るい兆しをつかみたい。


玉本さんの講演を聞いて                   長谷川倖友

去年の豊田直巳さんの写真展・講演会はただ聞くだけの視聴者(?)として参加させてもらいましたが、今年の玉本英子さんの講演会は企画・準備のほうから参加させてもらいました。やっぱり、企画・準備するというのは難しいということを身をもって感じることができ、反省すべき点が多々ありました。もし来年度の講演会にたずさわれるようならば、せめてどんな講話を聞いてみたいかっていう質問には答えられるよう、話のタネを準備しておこうと思います。

さて、今年は玉本さんの講演会でしたが、全体の話を通してやはり、人と人が意味もなく戦って、殺しあっている現実が同じ地球上で繰り広げられているというのは理解しがたく、またこれに参加しているのは戦うことに全くメリットがない普通のおっちゃん達ということで、とても残念なことだと思いました。今、また日本に軍隊を作ろうという動きが噂されていますが、そんなことがあったらもしかしたら家の隣に住んでいる仲の良いおっちゃんが戦場に行かなければならなくなるかもしれない。そんなのは嫌だ。そしてもしかしたら僕自身が行くことになり戦場に行かねばならぬかもしれない。そしたら、もしかしたら親や親戚等が悲しむかもしれない。それも嫌だ。やはり、日本には軍隊は作らせてはならない。憲法第9条は絶対に改憲させてはならないと強く思いました。

 イラクではかなり日本の文化があることに驚きました。特にアニメが大人から子供たちにかけて人気なんだという。そのアニメの中で『ちびまるこちゃん』が出てきたけど、このアニメは静岡が舞台となっているアニメでそれがイラクで知られていてその上結構人気という話だったので、静岡県民としてなんとなくだけど嬉しかった。

 最後のほうに東日本大震災復興支援のコンサートで九ちゃんの『上を向いて歩こう』がイラクの合奏団(?)によって演奏されてる映像が流れたけど、恐らくイラクの子たちも大変な生活をしているはずなのに、遠く離れた日本の東北の復興を思ってこういった催しをやってくれているというのはとてもありがたい気持ちになるとともに、演奏していた曲が日本の曲「上を向いて歩こう」だもんですごく感動しました。しかし、こういった催しをしてくれているというのを日本のマスコミは教えてくれないっていうのはとても残念なことだと思う。僕自身、今回の講演で初めて知れた訳だし・・・。

 さて、今回の講演会の題に『紛争をなくすためには私たちに何ができるのか』とありましたが、玉本さんの講演を聞いて、それは「他の人とつながる・他の国の人とつながる」ことなのではないかと思いました。講演の中にイラクの小学校の子供たちと東大阪の子供たちがプレゼントを交換し合って、国際電話で話し合っているという話があり、たぶん紛争をなくすため・世の中を平和にするためにはこういった活動が一番大事なんだと思いました。そらそうですよね。お互いにプレゼントを贈りあった仲同士で絶対に戦争とか戦いが繰り広げられるわけがないと思います。

 ここで話はまるっきり変わるけど、野球の国際大会の話をさせてください。先日、日本と台湾が試合をしました。台湾には東日本大震災のときに支援や義捐金などでだいぶ助けてもらいました。そこで、とある日本人がネット上でこのことに対しての感謝のプラカードを作ろうと呼びかけました。そのその呼びかけの通り…(写真 写真◆法んで、試合は5時間近くの死闘の末、日本のチームが勝ちました。すると台湾の応援団が自分達の国旗に『日本おめでとう』っと記したのです。そして日本の応援団の人と肩を組み合って写真を撮ったのです。(写真) これもイラクと東大阪の子達と同じように「他の人とつながる・他の国の人とつながる」っていうことじゃないでしょうか。僕はこの日本と台湾のような関係(試合終了後に互いの国の応援団同士で写真を撮る等)が他の国ともできたり(韓国とか中国とかと)また、他の国どおし(アメリカとロシアとか)でできれば戦争や争いなんかが絶対に起きるわけがないと思います。なので、人とつながること・他の国の人とつながることっていうのは本当に大切なことだと今回の講演で思いました。

 玉本さんはこれからも取材を続けるらしいですが、お体には気をつけて、安全第一で頑張ってもらいたいです。

 写真            

2013_0316こうゆ1

写真

2013_0316こうゆ2

 写真

人つなぎ、平歩をつくる 玉本英子講演会・写真展 
 2月3日(日)エバーグリーン主催「玉本英子講演会・写真展」を開催しました。

高教組志太榛原地区の地区教研としても位置付け、約90人の人が参加しました。
2013_0203エバグリ1

2013_0203玉本氏

玉本英子講演
2013年2月3日
 
藤枝生涯学習センター 14:15〜16:00

1、フリーランスのジャーナリストになったわけ

 アジアプレスの玉本英子です。大阪から参りました。

私は「フリーランス」のジャーナリストです。決まった会社に所属しているわけではなく、自分で企画を立てて取材し、それを記事にして、テレビなどにそれを売り込んで、お金にして、そのお金でまた取材に行くという、いわば自転車操業的な仕事をしています。

 ジャーナリストになる前は、神戸屋パンのパッケージなどをデザインする会社で普通のOLをしていました。たまたまある日、1994年だったと思うのですが、テレビである男の人が自分のからだに石油をかけて火をつけて、機動隊に突っ込むという映像を見ました。いまどきそんな人がいるのか、と強い衝撃を受けました。クルド人が自分たちの国を持てないので、それを世界にアピールするためにやったことだったのです。それまではのほほんとした生活をしていた私ですが、その映像を見て、なぜそんなことをするのだろと疑問を持ち、調べに行きたいと強く思うようになり、半年後、会社をやめて、本人と会うために、私が見たニュースの現場であったヨーロッパに行きました。本人と会うことができたのですが、その人は全身がケロイド状態で、ようやく命を取り留めたという感じでした。私がなぜあんなことをしたのか?と聞くと、「わたしの故郷に行けば、僕がなぜこんなことをしたのかきみにもわかるはずだ」と言うのです。私は、まったくの素人でしたが支援団体のアドバイスをいろいろ受けて、クルド人の住む現地に行って話を聞くことができました。私たちがのほほんとしている間に、世界にはこのように抑圧されている人がいるのだ、私にもできることはないかなと考え、これを伝えたいなあ、伝えられないかなあと思い、今の仕事に就きました。

 派遣社員などの仕事をしてお金をためては取材に出かけ、はじめは形になりませんでしたが、繰り返しているうちに次第に仕事をもらうようになりました。

 

 エバーグリーンの若いみなさんも「平和の旅」などを企画され、韓国などに出かけているようですが、若い人はおしゃれをしたい、遊びに行きたいという思いもあるでしょうけれど、若い時期にいろいろなところに出かけて学び、それを人に伝えていくことはすばらしいことですね。

 

 きょうは、ささやかながら、ジャーナリストとしてわたしのやってきたことをお伝えしようと思います。何かのヒントになってくれれば幸いです。

 山本美香さんと同い年で、彼女とは現場で会うことも多い友達でした。彼女がシリアに行く前に相談がありました。わたしもイラクからシリアに入ろうとしたことがありましたが、危ないのでやめた方がいいと判断してやめました。彼女も行くかどうか迷っていて、どうするかわからないといっていました。絶対やめたほうがいいよ、と言おうとも思いましたが、彼女なら何を言っても行くだろうなと思い、防弾チョッキはちゃんとしたものをもっていきなよ、とだけ言いました。強く止めておけばよかったかなとも思っています。

この仕事、女性には難しい仕事だとも思われていますが、女性だからこそできることがあると私は考えますし、男性だから女性だからというのではなく、あのような現場に出る人は必要だと考えています。

2、イラク戦争から見えてくること

(1)普通の人たちが…

サダムフセインの映像

 イラク戦争が始まったのは10年前。高校生なら小学生の時ですね。これはサダムフセイン。イラクの国営テレビの映像です。当時イラクではテレビチャンネルが二つしかなく、民衆がサダムをあがめるような映像がたくさん放送されていました。もう一つのチャンネルでは、サダムの息子が大好きだったハリウッド映画をたくさん流していました。

日本のアニメも人気で、アラフォー世代には、グレンダイザーやサンディベルなどが大人気でした。グレンダイザーの放送時間には外で遊んでいる子どもたちがいなくなり、最終回にはみんなして泣いたんですって。グレンダイザーのキーホルタ―をもっていったことがありますが、大人気でした。40代の男性が少年のように喜んでいました。バクダッドにはグレンダイザーの像がたてられているそうです。女性にも日本のマンガが大人気で、主人公のようになりたくて子どものころにアニメのヒロインと同じ髪型をして写真を写したそうです。

今の若い世代は、「ちびまる子ちゃん」が大人気です。イラクの中学生、高校生なら全員が知っています。まる子ちゃんはとても良い子で勉強ができて、まるこちゃんをめざしたいと言います。あれ?と思うのですが、アラビア語に翻訳するときにせりふを少し変えているのかもしれません。

男の子には「キャプテン翼」が大人気です。キャラクターグッズなど持っていけば、よいコミュニケーションツールになります。

 

空爆の映像 「アメリカ軍が入ってきました。誰も歓迎していません。」病院の映像。悲鳴。足を失った男性。子どもを殺されて泣き叫ぶ男性。

私のアジアプレスの同僚、綿井 健陽(わたい たけはる)が撮影したものです。

米軍がバグダッドを爆撃したのですが、当然のことですが、その下には民衆がいるということです。

破壊された米軍軍用車 群がるイラク民衆 子どもたちが石を投げたり、踏みつけたりしている。

イラク空爆の翌年の春、私が撮影した映像です。毎日、様々なところで米軍と武装勢力との戦闘がありました。

イラク戦争では、何の関係もないイラク市民が殺されました。その中から若者を中心に、「武装勢力」という言われ方をしますが、イラクに駐留する米軍を攻撃する人たちが現れてきます。おとなは破壊された米軍車から部品を持ち去り、子どもたちは石を投げつけたりして遊んでいました。

香田証生さんが拘束されている映像 アンサール・スンナ軍を取材

2006年に香田証生さんが人質になり殺害されました。イラクでは5人の日本人が人質にされました。

事件を起こしたイラク人たちは「武装勢力」「テロリスト」などと言われますが、多くは貧しい市民、普通の人たちでした。私が取材したのはアンサール・スンナ軍。彼らも普通の青年たちでした。

 イラクの人たちは日本の広島長崎の原爆被害のことも知っていて、一般の日本人に対しては悪い感情はもっていません。しかし、当時、日本の自衛隊がサマワにいました。武装勢力は銃を持つものに対しては敵だと認識していました。「一般の人を人質に取ることはよくない、イスラムの教えでは禁止されたことである」とも言っていましたが、他に訴える方法がないのだ、と言う声も聞かれました。

 「武装勢力」と言われる人たち。布で顔を隠して銃をもって、すごく怖いですし、日本人を人質にして殺害する映像を流すなんて、私は悪魔のような人たちだとはじめは思っていました。

 バグダッドの武装勢力メンバーを取材する機会がありました。会ってみたら普通のおっちゃんたちでした。ひとりの家に招かれたことがあるのですが、スポーツ用品店のオーナーでした。家の入り口に「ちびまるこちゃん」の絵が描かれていました。かわいい子ども二人の親で、子どもたちはちびまるこちゃんが大好きだったんです。おとうさんは息子と娘の肩を抱き寄せて、ちゃんと宿題をやっているかなどと声をかける普通のおとうさんでした。奥さんはびっくりするくらいきれいな人でした。本当はこんなことしたくないのだけれど、親戚が殺されて、こうせざるを得ないのだと言っていました。

 当時、武装勢力がアメリカ人の首が切り落とした事件がありました。それについて聞くと、彼は「それはすばらしいことだ」と言うのです。

 怖い人ではない、悪魔のような人でもない、おかしい人たちでもない普通の生活をしている普通の人たちが、相手を敵とみなした時に、人質をとったり、首を切って殺したり、死体を見てすばらしいことだと言ったりするのです。ということは、戦争のような状況になると私たちも、あのようなことが平気でできるということです。

アジア太平洋戦争の時でも、普通の人が日本兵として戦場に行き、普通の人にはできるはずがないというようなひどいこともしてきました。私たちも戦場のような状況におかれたときには、イラクやシリアで行われているようなことをしてしまう可能性がある、ということを強く思いました。

 

(2)今も続く劣化ウラン弾の被害

 劣化ウラン弾の取材をしました。

戦車の墓の映像。空爆で破壊された戦車や車か放置されている場所。湾岸戦争で初めてはじて使用された。アメリカは関係を否定しているが、湾岸戦争で大量に使用され、それ以来5歳未満の死亡率が異様に高くなっている。

 

バグダッドの子ども病院。急性白血病になった子ども。再発して目に腫瘍ができている。日本なら治せるが、イラクでは骨髄移植などの手術をする施設がない。彼は勉強ができる子で、学校に行きたいと言う。

骨肉腫で左足を切断した中学生の女の子。再発し、意識が混濁し、その後、亡くなった。

 

 日本のNGOがさまざまな活動している。バグダッドの院内学級も。入院している子どもたちには娯楽がないので、絵をかいたり勉強したりしていました。病院に入院して回復した子どもたちの写真がたくさん貼られていました。多くの子どもたちが亡くなりますが、回復する子どもたちもいて、入院している子どもたちを元気づけている。

 イラク戦争が始まって10年たつが、劣化ウラン弾の被害は今も続いています。

 

(3)イラクの子どもたちと日本の子どもたちをつなぐ架け橋に

 バグダッドに住めなくなった人たち、海外に逃げるお金のない人たちは、親せきがいてより治安のましなところに避難していました。アルビルもそのひとつ。そこにあるジャワヒリ小学校の子どもたちとかかわりを持つことができました。

6年生の授業風景。算数の授業で角度の勉強をしている。 

 イラクはそんなに貧しい国ではありません。子どもたちは小ざっぱりした格好をしていて、日本の子どもたちが持っているような筆箱などをもっていて、日本の子どもたちとそれほど変わりません。右から左に書いていくアラビア語を書いているところを見ると、器用だなと感じます。

 どこから逃げてきたの?モスルから?と聞くと半分くらいの生徒が手を挙げました。バクダッドからは?と聞くと三分の一強くらい。

 子どもたちに聞くと、「三か月前に逃げてきた。モスルにいた時には家の近くに爆弾が落ちて、ガラスが割れたりして、とても怖かった」と。

 バクダッドから来た少年の話。戦争で治安が悪くなり、ギャング、強盗が多発し、いちばん金になるという子どもの誘拐が多発。友達が誘拐されて、要求された身代金が30万円くらい。イラクの給料は学校の先生で月6万円ぐらい。30万円は大金です。身代金を払ったけれど、友達は殺された。そこで少年の家族が心配して移住することになり、アルビルへ来たという。

笑わない児童もいました。二か月前におとうさんが殺されたのです。ある日、車のディーラーの仕事へ出勤したが、そのまま帰ってくることはありませんでした。

 

 イラクの一般の家庭にも招かれました。紅茶に砂糖を入れて客をもてなします。電気もついたり消えたりで不安定ですが、4〜5時間使えました。子ども部屋などないので、子どもは居間で勉強しています。

彼はモスルからきたが、帰りたいかと聞くと、いやだと言う。なぜと聞くと、だって戦争しているからと答えていました。友達にはどこに引っ越したのか言っていない。引っ越し先を教えたら、また家を襲われたり誘拐されるかもしれないからと。

 夜逃げのように逃げてきたので家財道具はほとんど持ってこれなかったそうです。安いものを買って生活していました。イラクでも北部では日本と同じくらい寒い。電気がないのは大変です。二つの部屋に9人家族で住み、布団を敷いて寝ていました。

 

 そのジャワヒリ小学校で、日本の子どもたちのことをお話する機会を持つことができました。イラクの子どもたちと日本の子どもたちとが交流できないかな、と考えていたのです。

大阪の大平寺小学校の卒業式のニュース映像。戦火の子どもたちからのメッセージが届く。イラクのジャワヘリ小学校の6年生全員にプレゼントしたことのお礼。イラクの子どもたちのことを話したことをきっかけに交流が始まり、玉本英子さんが橋渡しをしている。

おとうさんが誘拐されて殺されたり、家族が爆撃で殺された子どもたちのことを話し、日本の様子を伝えたり。時には授業の中でと携帯電話で「コンニチワ」と直接声を届けたり、そのお礼にイラクの国歌のうたごえを届けたり。「言葉はよくわからなかったけれど、気持ちが伝わってきた」と子どもたちの感想。卒業式直前に自己紹介カードを書き、ひとりひとりの宛名書きをしてイラクの子どもたちに渡すと、子どもたちに大好評。いつか本当に会いましょう、と交流している。

大平寺小学校は、在日朝鮮人の子弟が多く通う小学校です。イラクの子どもたちのことを話す機会をもらい、紹介しているうちにイラクの子どもたちと友達になりたい、と子どもたちが言いだしました。どうやったらいいか考えてね、と考えておいてもらいました。はじめは、いらなくなった文房具を集めてプレゼントするというのです。私は本気で怒りました。友達にいらないものはあげないでしょ、友達には一番大切なものをあげるでしょ、とおこりました。三週間後くらいに呼ばれて、手渡し会をしたい、といわれました。子どもたちが自分たちで考えて、顔写真入りの自己紹介カードと好きなものを描いたので、イラクの子どもたちに渡してほしい、というのです。自己紹介カードには、ローマ字で「アイライクタコヤキ」などと書かれていたり、たこ焼きの絵と「ディスイズタコヤキ」、アニメの絵なども描かれていました。ハングルで書いている子もいました。

イラクの子どもたちに持っていくと、大喜びしてくれました。物をもらうよりうれしい、と。実は、文房具などは支援物資でもらっても、「またか」という感じなのです。ノートやえんぴつは腐るほどある。物ではなく、心のつながりがうれしかったのです。そこで携帯電話をスピーカーにつなげて、直接声が聞けるようにしてみました。20分くらいのつもりでいたのですが、いろいろ質問し始めて一時間半くらいの交流になりました。

大阪の六年生は広島に修学旅行に行きます。そこで、広島のことを伝えたい、と言い出しました。紙芝居風に写真に説明をつけてくれました。それを使って、ジャワヘリ小学校で平和授業をやらせてもらいました。

私は大阪の子どもたちが作ったものを紙芝居風に読んだだけですが、イラクの子どもたちは真剣に聞いてくれました。 

二回目の授業の様子の映像。 玉本さんがこれはなんですか?と 原爆ドーム、きのこ雲、ケロイドなどの写真を見せて子どもたちが、それに答えている。 

ある女の子が、「イラクの子たちはたいへんな中でよく頑張っている。でも日本の子どもたちのいじめや自殺のことを知ってほしい。」というので、お話しました。するとイラクでは、「イラクでは自殺はいないよ」と。イスラム教では自殺すると天国にいけないそうです。「そうなんだ、日本の子どもたちも大変だな。テクノロジーがあってすごい国だと思っていたが、大変なんだ。お互いにがんばろう。」と言ってくれました。

 このように、子どもたちとの交流の橋渡しをすることを通じて私も学ぶことができました。

 

(4)「イラクの広島」ハラブジャで原爆写真展

 イランとの国境近くのハラブジャは「イラクの広島」と呼ばれています。6000人くらいの小さな町ですが、イランとの戦争の時に、フセインのイラク軍が毒ガス爆弾をおとしたのです。同じ国の国民に対して。

毒ガス爆弾による死者の写真の映像。

その時の悲惨さを伝えるために資料館が作られています。写真や映像、ろう人形などで当時の様子を伝えています。煙を吸った人たちがなくなる悲惨な映像 後遺症に苦しみ入院している人たち。

私は被曝2世です。ハラブジャの人たちが広島・長崎のことを教えてほしいというので、原爆写真展を開きました。その時のポスターには、きのこ雲と三人の子ども。冬に撮影した写真で、原爆孤児が、食べるものがないので、雪を食べている写真を使いました。「日本は金持ちの国だと思っていたが、戦争の時には雪を食べる子どもたちもいたのかとびっくりした。」と反響を呼びました。

 写真展は、私がひとりで企画し、図書館で開催しました。日本の被爆者の組織である、日本被団協から借りたポスターに枠をつけたり、写真を現地でプリントアウトしたり、地元の学生たちにもバイトとして手伝ってもらいました。

 2006年のことですが、たくさんの人が来てくれました。写真にはアラビア語、クルド語と英語で説明をつけました。地元のローカルメディアが取材に来てくれました。この着物は伯母が大切にしていたもので、 原爆で焼け残ったものです。写真展では、泣いている方も多くいました。今の広島・長崎の写真も展示しました。

来場者の話、被害者の感想 

「化学爆弾の当時の悲惨な光景を思い出した。死体だらけで、目が見えなくなった人もいる。この写真を見たときハラブジャを思い出した。」

「背中全面をやけどしている少年の写真に衝撃を受けた。この写真を見た時に、私の気持ちは正常ではなくなった。ハラブジャのときにも私たちはつらい思いをしたので、その痛みを想像できる。郵便配達をしていた少年にこんな悲劇を与えなければならない理由はない。」

 原爆展では、日本は被害者なだけでなく「加害者」でもあることもきちっと説明しました。すると、政府関係者の人が、なぜ?と聞くのです。「私たちは、戦争において加害者でもある面もあるだから、それを反省した上で戦争はいけないという教育を受けている」と説明しました。すると、「私たちは被害のことしか言わない。加害のことなど言わない。そんな発想はない。日本はすごいな。」と言われました。

 

ハラブジャのことは遠い関係ない外国の話だと思いがちです。しかし、そうではないのです、アルビルでいま裁判の準備をしています。ハラブジャの毒ガスには海外のさまざまな企業が関係していて、その中には日本の企業も含まれているのです。その責任を追及しようと資料集めを始めています。アメリカの弁護士団体も協力し、殺された人の資料が集められています。今後大きな国際裁判になっていくでしょう。

なぜ裁判を?と聞くと、「イラク戦争は終わっていない。なんら解決されていない。私たちは復讐・リベンジでも金のためにやっているのでもない。日本も10社ほどがかかわっていた。この虐殺に世界がかかわっているということを知ってほしい。そのために裁判を起こすのだ。」と語っていました。

 

3、シリア難民キャンプ 

山本美香さんはシリアのアレッポへ行きました。私はイラクのモスルからさらに北にあるシリア国境近くにあるドミズキャンプ難民キャンプを取材しました。

市街戦の映像。アラーアクバルの声

自由シリア軍は反政府軍で、正義の軍隊というイメージがあるかもしれませんが、決してそうではありません。反政府の自由シリア軍は、政府軍が一般人を殺害したのでその恨みから銃を取った人が多いのです。極端に言えばイラクの武装勢力とあまり変わらないのです。もっときちっと取材しなければ…。

政府側のテレビ局の映像。自由シリア軍がテレビ局をおそい、カメラマンを殺害。

自由シリア軍もテレビ局を襲撃して一般人を犠牲にしています。「自由シリア軍はテロリスト」だと政府軍は言います。シリア人同士が殺しあっている悲しい状況です。同じ学校に行った友達同士が殺しあっているようなものです。

 私は、国境沿いを取材しました。

検問所、集落。大丈夫だよと言うが、警護はつけて取材。親戚がシリアに住んでいる人が多い。状況が悪くなって「行き来できなくなって残念」との声。

シリアからイラクに逃げてきた難民キャンプを取材しました。一日100人規模で国境を越えてきています。昨年の7月です。テントには、とりあえずは生活できるものはそろっていて、子どもたちも学校に通っています。砂漠地帯で熱いが、電気があって扇風機も動いていました。

 10日間歩いて国境を越えて、イラクへ逃げてきた家族。布団もイラク政府から支給されました。ある家族は、「帰ったら殺される」と言っていました。なぜ逃げてきたのかと聞くと、旦那さんが反政府軍とかかわり、政府軍に追われて逃げてきたと。シリアの状況はよくない。多くの人は出たがっている。」と。

難民キャンプでは、電気もガスも支給され、とりあえず料理はつくることができます。一週間分の食材。これでは少し足りないかな、と。冷蔵庫もありました。感心したのは、政府が一般市民の分の電気を難民キャンプへまわし、多くの市民もそれに同意してくれていたことです。 

 この人たちはクルド人の家族です。一家に一台水の入ったタンクが支給され、その水で洗ったり料理に使ったりしてますが、水はあまりきれいではない、飲むには適さないようです。トイレはまぁまぁきれいでした。しゃがむ式ですが、向きは日本と逆で、お尻を奥にして、前を向いてしゃがみます。取材したのは夏でしたが、今は冬で日本並みに寒く、暖房などの支援が望まれています。

ドミズ難民キャンプにいる人たちは大きく分けると二つあります。家族と単身者です。単身者は全員が男性。政府軍から逃亡してきた元政府軍兵士たちです。これは身分証明書。名前などはテープで隠して撮影させてもらいました。

シリアでは、21か月の徴兵制が敷かれていて、今、徴兵された人たちが最前線に立たされて、民衆に向かって撃てと命令される。撃たなければおまえを撃つと脅されていたそうです。中にはできないからと空に向かって撃つ兵士もたくさんいたそうです。軍は、空に向かって撃つことを禁止した、と言っていました。

それに耐えられず、家族に頼み込んで、わいろを払って内勤にしてもらい、さらにわいろで休みを取らせてもらって、その隙に逃げてきたと。トルコ側に逃げようとも考えたが、トルコ国境近くは自由シリア軍が占拠しているから、捕まればたいへん。そこで、イラク側に逃げてきたと。

 

自由シリア軍は「テロリスト」とも言われますが、多くが家族親戚を殺されて、その復讐のために戦っています。イラクと同じ。ジャーナリストは、自由シリア軍について取材することが多いので、ついた側の視点の報道になってしてしまいがちですが、自由シリア軍もひどいことをしています。その点を注意して取材しないと。報道を見る側も注意しなければいけません。報道されていること自体が事実だとしても、それ以外にはどうなのか、様々な側面を見ながら考える必要があります。

 

4、東日本震災支援コンサート

これは日本の東日本大震災の光景です。おととし5月に取材したもの。見た目はイラクの爆撃跡とかわりません。人災か天災かの違いはありますが、多くの人が亡くなったことは同じです。

この人はバクダッド大学の女子学生。オーボエを練習しています。うまくないけど、聞いて、と。

彼女は震災のニュースを聞いて心を痛め、バクダッドのコンサートホールで行われた、東日本復興支援コンサートに参加しました。わたしはそれを取材しました。当日は、多くの人が来てくれました。演奏するのは青少年交響楽団。地元バグダッドに暮らす子どもたちの演奏です。

 

「上を向いて歩こう」の演奏

支援コンサートの練習はたった一週間でした。さきほど女子学生が、コンサート終了後、コメントを寄せてくれました。

「私もイラク戦争を経験して、悲しいことがたくさんありました。日本の人たちの気持ちがわかります。私たちの気持ちを伝えることができたらうれしいです。」と言ってくれました。

イラクの人たちは日本にはよいイメージをもっています。日本の人たちにがんばってという気持ちを伝えたい、震災の年の4月におこなわれました。

 

イラク戦争は、「昔のこと、もう関係ないこと」ではなく、まだ終わっていないのです。

イラクの人たちは、日本や広島、震災のことをよく知っています。震災直後、イラクに行くと、見ず知らずのおばちゃんが突進してきて「あんた、無事でよかった」と家族のように抱きしめてくれました。イラクにはそんな人たちが暮らしているのです。

フセイン政権崩壊後、今年で10年です。その瞬間だけはテレビで放映されるでしょう。でもその後、私たちは忘れ去る可能性があります。

忘れてはいけない。関係ないのではない、わたしたちの政府はイラク戦争を支持した。支持した人たちを結果として選んだ。私たちは、イラク戦争に加担した。他人事ではないのです。

日本政府がやったことだから、アメリカがやったこと、と人のせいにしてしまいがちですが、自分のせいでもあるのです。

そしてもうひとつ。戦争が起きたら普通の人が、平気で人を殺せるようになる。私たちはそういう人間である。だからこそ、そうしないために、そうならないために、それぞれのやり方で、考えて、行動しなければならない。それが私の願いであり、微力だが行動していきたいと思います。ありがとうございました。

感想

「初めてエバグリ活動に参加して、シリア・イラク戦争について何も知らなかった。家族を守るために軍に入るためにと思っていたが、家族を殺された恨みから…を初めて知った。

私もブラスバンドをやっているが、一週間で曲を完成するのは難しいのに 気持ちがこもっていて、音色が温かく感じた。」

 

「大変なところを取材しているなと第一印象。3月にイラクに行くときに、アイライク寿司のメッセージを書いてもって行ってもらいたい。気を付けて取材してください。」

 

質問

尖閣問題、自衛隊を軍隊になど、戦争支持に世論が動いている。国民がだまされてしまうのはなぜ?

「戦争を知らないから、行ってしまえ!となるのかな。家族が亡くなったら考えるだろうけれど。知ろうとしたり、考えたり、創造したり、行動したりする力が足りない。ある意味、平和ボケですから。

でもイラクの人たちに聞くと、それっていいことじゃないかという。平和ボケ、いいじゃんと。私たちも平和ボケしたい。知らないし経験もないから、なんでも言える。でも、もしほんとうに戦争が始まってしまったら…。」

 

アルジェリアのこと。湾岸から日本は加害者の立場。現地の人たちから見るとアメリカからいっしょだから?

「アルジェリアは取材していないのでなんともいえないが、一般的に中東の人たちは日本人に良い印象をもっている。日本人と聞くと顔が明るくなるくらい。中東と直接戦争をしていないし、穏やかな人たちというイメージがある。キリスト教徒は敵だが日本人は仏教徒だから違う、という考える人もいる。自衛隊イラク派遣は一時的な問題。根のところでは好感をもっている。アルジェリアでは、日本人は利用できると思ったのかな。日本人なら思いをわかってもらえると思ったかもしれない。日本人を狙ったという報道には私もショックだった。」 

 

イラクの親の生活は? 産油国として職場は?

「イラクの人たちは7割が公務員。あと3割が自営業、農業など。近年、金持ちも増えている。公務員は、8時から2時まで役所などで仕事をして、午後からタクシーの運転手などをして生計をたてている人が多い。教育を受けた女性は多くが働いている。女性の学校の先生、医者も結構います。」


2013_0203エバグリ集合

 


玉本英子講演会・写真展
 エバーグリーン第9回企画(高教組志太榛原地区教研集会)

2013年 2月3日(日)12:00〜写真展 14:00〜講演会

「イラク・シリア 紛争地域から見えてくるもの

−紛争をなくすために私たちになにができるのか−」

講師 玉本英子 (アジアプレス所属 映像ジャーナリスト)

2013_0203ポスター2013_0203チラシ裏2


| - | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
2012年 味な平和ゼミナール in焼津
 12月2日(日)の「味な平和ゼミナール」は平和の部も味の部も充実しました。

  平和の部では、

  「放射線をあびたX年後」の上映会。第五福竜丸以外にもたくさんの被曝した漁師がいたが、40歳台、50歳台の若さで次々とガンなどで死亡。第五福竜丸だけが有名になっているのは、アメリカと日本政府の政治的決着の策略だという。衝撃的な映像。

  続いて、「韓国平和の旅」の報告。 昨年、焼津平和賞を受賞したことをきっかけに幡多ゼミとの交流が始まり、夏には福島の高校生とも合流して「韓国 平和の旅」に参加。

2012_1202味平1

 ハプチョンの広島・長崎被爆者会館での被ばく2世の方との交流。根強い闘いでようやく被爆者手帳を勝ち取ったのだと。

2012_1202被爆者と

2012_1202味平2

 古里原発視察。持参した放射線量計ではかると0.14μ㏜/時。釜山でも0.2μ㏜/時。反対する人たちも多く、「わたしたちを殺してから稼働しろ!!」という横断幕。

 「韓国の学生は、よく学び、よく語る。熱血漢が多いと感じた。」と大学生の感想。

 2012_1202韓国学生と交流

  ピースメーカーのバンド部「ダッシュ」の演奏。「ずっとウソだった」「TRAIN TRAIN」「空も飛べるはず」

 2012_1202ダッシュ

  4時半頃から味の部

  サバとイワシを三枚におろして、ミンチにして、黒はんぺんを作って、おでん。

2012_1202はんぺんづくり

シュウマイづくり、

2012_1202シュウマイづくり

お好み焼きづくり。カキ鍋、さしみ。

2012_1202イノシシ、さしみも

外では、イノシシ肉の炭火焼き、タンドリーチキン、マグロのカマ焼き、と超豪華。

2012_1202地区長

| - | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
静岡高教組 志太榛原地区 味な平和ゼミナール 
○日時 2012年12月2日(日) 14:00〜
(準備は13:00から始めます。都合のつく方はお手伝いお願いします。)

○会場 焼津柳新屋公会堂(西焼津駅南口下車 東へ1分)


身近なことから平和について学び、考え、地域の味を楽しむ「味平」。
おいしいものを思いっきり食べることのできる幸せ。そんな幸せなひとときを味わうために平和はなくてならないもの!
皆さん、作って、食べて、大いに語り合いましょう!

テーマは、「第五福竜丸から、高知、福島、韓国へ」です。

2012_1202味平チラシ

| - | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
向谷地生良(むかいやち いくよし)氏講演会
 11月11日(日)の第5回静岡県教育研究のつどいで、
『べてるの家』の創設者、向谷地生良氏の講演会があります。
向谷地講演ポスター
| - | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
第5回 静岡県教育研究のつどい
  11月11日(日)に、浜松で、「第5回 静岡県教育研究のつどい」を開催します。
2012_1111県教研チラシ
| - | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
「内部被曝を生き抜く」(鎌仲ひとみ監督作品)
  『内部被ばくを生き抜く』(鎌仲ひとみ監督)の上映会(藤枝市大洲公民館)へ行った方からの報告です。

 この映画は『六ヶ所村ラプソディー』(2006年)『ミツバチの羽音と地球の回転』(2010年)につづく鎌仲ひとみ監督の最新作品です。

 映画は広島で長く被ばく者を診てきた肥田舜太郎氏、チェルノブイリとイラクに関わっている鎌田實医師、福島の事故後に「国会はいったい何をしているんですか!」と参考人として国会で国会を一喝した児玉龍彦氏、ベラルーシの小児科医のスモルニコワ氏とのインタビューのほか、福島県二本松市の真宗大谷派真行寺副住職・佐々木道範さんの活動を紹介しています。
 佐々木さんはNPO法人「TEAM二本松」を立ち上げ、500万円の放射能測定器を(寄付によって)購入し、地域のために独自の食品検査を行っています。あとからネットで調べたら、この佐々木さんの測定器によって、昨年の12月、あるメーカーの粉ミルク(埼玉の工場生産)からセシウムが発見されニュースになったようです(メーカーではすぐに回収したそうです)。

 印象深かったところはいくつもあります。

1 低線量被曝による健康被害が現れてくるのはすくなくとも半年後から。それを承知の上で事故直後に政府高官が厚顔にも「ただちに健康被害はない」と述べたこと。

1 ベラルーシで子どもの甲状腺異常が発見されたのは、その土地でずっと子どもたちを診てきた医師と医療機関があったからで、逆にいうと、チェルノブイリ事故があっても、それ以前から以後にかけてもずっと同じ子どもたちを診療しつづけて異常を見つけた医師と医療機関があったということ。これによってはじめて子どもたちの甲状腺異常が発見され研究されたことと、その努力によって(かなり後になってから)チェルノブイリの原発事故とこの子どもたちの甲状腺異常とをようやく結びつけられるようになったこと(国際的に承認されるようになったこと)。つまり、こういう(長く、地道な)地元医師や医療機関の良心的、献身的な活動がないかぎり、原発事故による放射線被曝がこのような健康被害を及ぼすことを証明できなかったこと(放射能と健康被害の因果関係を認めさせる活動をするのはつねに地元の民間人であり、決して政府関係者・機関ではないこと)。

1 放射線は細胞の核のなかのDNAを損傷する。そのメカニズムは放射線のDNA に対する直接作用と、フリーラジカル(活性酸素)を介した間接作用による。このフリーラジカルは生体の細胞や組織を破壊するということで、分かりやすくいうと老化現象。つまり放射線は老化現象にかかわるということ。

1 放射線は細胞の核を損傷するだけではなく原形質の中のミトコンドリアに影響を与え、すべての疾病を起こしやすくする、という説があること。

1 福島の一軒の家を除染するのに500万から1千万かかる。にもかかわらず国からはスズメの涙の金額しか出ない。つまり除染はできないということ。

1 ヒロシマのあと、入広した人が低線量被曝によってのちにブラブラ病になるが、そのあと半年くらいで突然亡くなる。死因はよく分からない。この広島のブラブラ病については唯一の論文があり「慢性原子爆弾症」と名づけられていること。

1 福島の事故前から日本のすべての原発の放射能はすでに漏れつづけてきていて、いま、福島の事故をふくめて、それらによってすでにあらゆる日本人の体内に入っているらしいということ。

1 お母さんが日本の流れを変えるだろう。お母さん革命だ。

| - | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
9月15日 藤枝市 駅南平和のつどい 内部被曝を生き抜く
  第14回 駅南平和のつどい
  9月15日(土)13:30〜16:00
  大洲公民館 1階 集会室 入場無料


 鎌仲ひとみ監督作品「内部被曝を生き抜く」上映会
2012_0915駅南平和のつどいチラシ
2012_0915駅南平和のつどい 映画チラシ12012_0915駅南平和のつどい 映画チラシ2
| - | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
教育のつどい 2012 in兵庫
  渡辺あやさんの講演
2012_0817速報3-1
2012_0817速報3-2
2012_0817速報3-3
| - | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
カレンダー
SMTWTFS
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< March 2017 >>
推薦図書
推薦図書
推薦図書
最新記事
分類
ここで過去の記事が見られます
最新のコメント
最新のトラックバック
リンク
プロフィール
このページの先頭へ